儚い命よのぅ……

私が飼っているハムスターのうちの1匹に「うめ」というのがいる。その子は私やその友人たちに「うめたん」と呼ばれているが、オットはシャイなので(?)「たん」をつけて呼ばない。

このうめとの出会いは、とあるエキゾチックアニマルの展示会だった。ジャービル(スナネズミ)のブリーダーさんが出展していたブースに2匹の「里親募集」ハムスターがいた。そのうちの1匹だ。この子はいわるゆ「アメラニスティック・ジャンガリアン(メラニン欠乏ジャンガリアン)という種類らしく、ジャンガリアンにしては珍しく赤目である。体色はイエローなので、体だけ見たらプディングジャンガリアンだが、目が赤いので(あれあれ?)となる。

この子は少し変わった容姿をしているわけである。顔もちょっと面長で、ネズミっぽい。人間から見たらもしかしたら、「ハムスターにしてはあまり可愛くない」顔と言えるのかもしれない。しかしその目が、非常に美しい。毛の色も薄いので、余計にその紅が際立つのである。ちょっとハムスターにしては面長で「のーん」とした(?)顔も、その赤目によってなんだかすごく神秘的に見えるのだ。魅了された私は渋るオットを説得して、お持ち帰りと相成った。

目が赤いので、まぁメスだし、うめかな。そうやって適当に名前が付けられたうめたん。かなりのビビリ屋で、隅っこにいて、声がするとビクッとそちらを向く。触ろうとすると非常に素早く逃げる。持ち上げたら、ジジジジッと鳴く有様だ。

うめはすでに一歳くらいにはなっているとのことで、ハムスターでいえばそろそろ中年といったところ。話を聞くとこの子はどうもたらい回しに遭っているようだったし、余生を楽しんでもらおうとうちに連れてきた。お別れも他の子より早く来るだろうという覚悟もある。しかも、しばらく見ていて気がついたが、なんとなく直感で「この子は体が強くなさそうだ」と思った。体が強くないからこそ、これだけビクビクしているんじゃないかと。また、その特徴的な容姿も、あまり日本ではおおっぴらに流通していないタイプなので、もしかしたらブリーダーさんが出品しないような、遺伝的脆弱性のある個体なのではないかと。ジャンガリアンに本来、赤目は存在しないと言われている。なんらかの突然変異遺伝子を持っているのだろう。だとすれば、近親交配の結果かもしれないのだ。

などとぐるぐる考えていたが、お迎えして約1ヶ月したところで、(うちで一番の高齢だし、健康診断をば……)と、軟便ハムのもちの診察のついでにと、病院に連れて行った。

 

そしたら……私はああ連れてきてよかったなぁと思った。手慣れている獣医さんが持っても、うめは「ジジジジッ!ジジジジッ!」と鳴いていた。しばらくうめをまじまじと見て、先生は言った。「あ、手になんか出来ていますね」。

なんとうめの左手に、めちゃくちゃ小さい血豆のような、赤いできものができていたのだ。これは腫瘍の可能性もあるとのことだった。あまり手に持たせてくれないので、私はうめの病変に気がついていなかった。いや、まだ一ミリに満たないほどの大きさなので、おとなしい子でも、気づいていたかはわからないが。

ハムスターが腫瘍ができやすい動物であることは、愛好家ならば誰もが知る事実だ。そして、悪性であれば小さいハムスターの手術は難しいので、だいたいが緩和ケアしかないということ。まぁ、まだうめのおできが悪性かは、分からないのだが、ハムスターの一般的特徴と、うめに対して感じていた「病弱そうだ」という直感から、私はまぁ十中八九悪性腫瘍だろうなぁと思っている。

うめたん、いま何歳かわからないのだが、もし1歳ちょっとであればちょっと腫瘍は早いなぁ。案外腫瘍ができても長いこと生きる場合もあるそうだが……うーん、これからはうめのことをもっと気にかけ、うめを慣らしていこうと思った。おそらくあまり長くないだろう余生を、よかったなぁと思って生きて欲しい。

儚い命よのう。と思ったのでした。

もちろんうめは、まだまだ元気ですけどね?

ハムスターの話

お久しぶりの更新ですよ。

なんか忙しいんですよ。なんか……私ADHDもたぶんあるんで(診断としてはASDですが)、頭が忙しい。気づいたら予定が詰まる。そして、疲れてしまうのです。

さて、表題通り、ハムスターのことを話します。キイロネズミが小学生のとき、「とっとこハム太郎」が流行りました。ハムタロサーン!当時ハムスターの飼育書がけっこう書店にあって、ハムスターのゲームもよく発売していました。「ハムスターパラダイス」というゲームを友達がやっていて、私も始めたらこれがすごく楽しくて。ハムスターパラダイスはGBCで「4」までいきました。ハムスターパラダイス4は、ゲームボーイカラーの最終盤に出たもので、まさしく、ゲームボーイカラーの集大成の1つと言えるソフトです。今やっても、きっと面白い。

……肝心の本題を話していなかった。

なんと、うちに、ハムスターが2匹やってきました。小学生時代からまじでハムスターが飼いたかったですが、小児喘息があったことと、祖父が大のねずみ嫌いで見かけ次第殺処分するような人でしたので、飼うのは諦めていました……が、この度!オットがいいというので、ついに!お迎えしました!

1匹は、ジャンガリアンハムスターのサファイアブルーオス。「まめ」という名前です。まめは名前の通りちょっと小柄な子で、ペットショップに一緒にいた兄弟とくらべてひと回りもふた回りも小さかった。でも元気にちょろちょろ動いて、もりもり食べて、10g増えました。現在、35g。

もう1匹は、ジャンガリアンハムスターのプディングカラーのメス。名前は「もち」です。プディングハムスターは本来、名前通りプリンのように薄茶色というか、黄色に近い色をしています。でももちは、プディングハムスターにしては白くて、一瞬パールホワイトという毛色にも見えます。どうやら、プディングの毛色にそれが白っぽくなる遺伝子が乗ったものだと思われます。で、プディングは「肥満遺伝子」というのを受け継いで生まれてくると相場が決まっているので、ちょいポチャでうちにやってきました。50g強。このもち、ちょっと病気持ちで心配です。

この2匹、つがいのように雌雄いるわけですが、交配させる予定はありません。ケージも別にしています。その予定だったのですが、こないだの動物病院受診で、「もち」の病気が判明。どちらにせよ交配は不可能だとわかったのです。

もちが患っている病気は「トリコモナス症」という、寄生虫(ただしくは原虫というそうですが)の感染症です。トリコモナスは性感染症の「ちつトリコモナス」とはまた別の、「腸トリコモナス」により引き起こされます。ハムスターは子どもの頃、母親ハムスターのふんを食べることで栄養補給します(ハムスターはふんに残った未消化の栄養を再吸収するため、もともと食糞の習慣がある動物です)。そのときに感染した可能性が高く、つまりは母子感染が多いようです。だから、トリコモナス持ちのメスは子どもを生まないに越したことはありません。爆弾をかかえた子どもたちが生まれてきます。

さて、運悪くもちは、トリコモナスを母ハムスターからもらってしまい、気づかずにペットショップにおろされてきたわけです。ペットショップの時点で軟便があり、他の子を選んでも良いと言われましたが、もちを最初に飼おうと考えたので見捨てるわけにはいかないと思い(病気持ちのハムスターは売れないので、そのあとどうなるか心配で)、そのままお迎えしました。結果的に、初診ではハムスター生体のお金の倍以上の診察費用がかかりましたし、これからも何度も通院するのでけっこうお金がかかるのですが、関係ありません。もちが少しでもいいハム生を送れるように、できることはしてあげたいと思います。

 

ペットとしてハムスターを飼うようになってから、人間ってなんてエゴが多いんだろうなぁと思うようになりました。まぁ私もペットとしてハムスターをお迎えした以上、同じ穴の狢なわけですが。ハムスターはもともといなかった毛色がブリーディングにより作り出されています。犬や猫も、特徴的な品種がいろいろありますが、人間の意図的なブリーディングの結果です。そして遺伝子が偏った結果、病気をしやすい子が生まれてくることも珍しくありません。

こんなことなら、生まれてこない方が楽だっただろう。そういう個体もいます(本人?はなんて思うかわからないので決めつけられませんが)。

うちに来てくれたもちも、ブリーダーが母ハムスターはトリコモナス持ちだと気がつかず交配させてしまったために、生まれてきて早々に軟便の洗礼を受けてしまいました。

ハムスターは軟便が悪化して下痢症まで行ってしまうと命の危険もあるので、もしかしたらもちはあんまり長生きできないのではないだろうか、と頭をよぎることがあります。

実家に昔、犬のウェルシュコーギーがいました。その子が死んだとき、母はながいことペットロスになり、結果的に母までが健康を害してしまいいまだ通院中です。動物は人間のように話せない分、人間が動物の気持ちを予想して考えてしまいます。また、人間の臨終のように、言葉を交わしたお別れもできません。なおのこと、物言わないペットの死は人間にとって、心残りになりやすいのかもしれません。

まめは元気ですが、ハムスターのことですから長くても2年ちょっとです。もちに至っては、すでに病気持ち。お別れのことを考えると、お迎えしたばかりなのに憂鬱になってしまいます。

 

生きている意味をことごとく粉砕されて

こないだから時々「子どもを産めたらいいのに」みたいなことを書いているが、私は「この世は地獄だ」と感じている。生きていて愉快であれば、大半の人は生死が一体であることを忘れているように思う。しかし生きることは死へのプロセスと同じだ。

私はセロトニンが少ないらしく、幼い頃から「死」がいずれ迫り来ることから目を反らせたことなどほとんどなかった。以前「森田療法」を学び、死への恐怖が強まっていくメカニズムが臓腑に落ちた。それからしばらくは死への恐怖は落ち着いていた。

私は毎年冬になると、体調を崩す。今日は塾のバイトがあるまで、暗くなるまで寝ていた。眠くて仕方がない。起きていられない。この傾向は北国に来たので一段とひどくなっており、私の生命力が弱いということを痛感させられる。今日はたかだか2時間程度中学生の勉強を見ながら、ボンヤリと空虚を感じた。

仕事が終わったあと、帰り道にさきほどまで感じていた空虚の正体がなんとなくわかってきた。私は何のために働いているのだろう。私は夫に養われている。発達障害の易疲労感があるために普通の人の10分の1も働くことができない。それでも現在一応、すこしのお金を稼いでいる。自分が穀潰しであることが嫌だからだ。むなしい自己肯定感のためだ。

他方、一般に人は何のために働くかというと、将来の幸せを積み上げるためなのだろう。人によっては明日のパンにも困るので必死に働いている場合もある。どちらにせよ、人は明日以降の自分(とその家族)のために働いている。

私はというと、こんなに体調が悪くて、こんなに体が虚弱で、いったいいつまで生きていられるのだろう。こんな身の上で、明日の私のパンなど考えられない。いつまで生きていられるのだろう。私は今日、明日のパンを稼いでも、明日死ぬかもしれないような気がする。

私は子どもを産みたいと思っているが、それはなぜなのだろう。こんなに嫌な世の中に産み落とされる私の子はまた、人生に苦しむかもしれない。母がこのありさまでは普通の人よりその可能性は高いだろう。それなのになぜか。もしかすると、いつ切れるかもわからない私の生を、私の半分を受け継ぐ子どもという形で少しでも永続させたいという欲求があるのかもしれない。

まだこの世に形もない命は、「生まれてきたい」「生まれたくない」と主張することはできない。私が生まれる前にそれを聞かれたら、なんと答えただろうか。まだ人生を生きていないから、好奇心で「生まれたい」と言っていたかもしれない。20数年もすれば、こんなに絶望の人生を送るようになることも識らずに。

子が生まれるということは、すべて親のエゴだ。親が勝手に「この子は生まれたいと思っているに違いない」と決めつけてこの世に産み落とす。しかしそのあとその子がどのように生きるようになるかは、神のみぞ知る問題だろう。私が生まれた時、親は私がこんな暗澹とした青年期を送るとは思っていなかっただろうし、私自身も自分に発達障害がありこんなに虚弱だなんて知らず、ただボーッと生きていただけだった。それが大人に近づくにつれて、ボーッとすることは許されなくなった。自分の無能に気がつき、自分の体のいうことの聞かなさを知り、周りの人が優秀なので劣等感で死にたくなった。

私はもうボロボロだ。いったいいつまで、私は生きているのだろう。

 

正月親戚イベントに爆発する劣等感

叔母一家が来るのは嫌いではない、むしろ小さい時から好きな方なのだが、自分の生い立ちを年下のいとこと比べて劣等感に苛まれ、自己嫌悪でろくに眠れない。記念碑として書いておくことにする。

いとこは4月から高校三年生になり、大学受験に飛び込んでいくことになる。幼い頃から教育熱心な叔母夫婦に英才教育(わたしから見れば)をされたので、順当に進学校に通っている。叔母夫婦にとってわりと高齢のときの子供であるため大学は地元で進学することを期待されているのであまり選択肢はないものの、早いうちから彼の志望校は「国立医学部」と決まっている。叔母夫婦は医者ではないのだが病院関係で勤務してきた。叔母は出世しているのでさまざまな業務に携わってきており、その話を見聞きしているのだから医療に関心を持つのは当然のことだし、一人っ子なので両親との関係も近くなるため、医師になりたくなるのも分かる。私はその進路選択を基本的に応援しているし、男子なのでガンガン偉くなればいいと思う(女子が偉くなるなという意味ではない)。

一方の私は、発達障害があり、療育を望めなかった最後くらいの世代。高校生、ちょうどいとこの年頃から二次障害を発症し、ずっと暗中模索が続いていた。研究者のオットや医学部を目指すいとこのように高校生の段階で明確に自分の将来やりたいことが見える段階になかった。

私の目標は、ただひたすら「偉くなってみんなに褒められて自分を好きになること」だった。ハッタツあるあるだが私は歩くのが2歳近くとかなり遅く、障害を疑われていた。それゆえ私の成長には家族の誰も期待していなかった。いつも私の成績がよかったり、書道で賞をとったりすると「意外にできる」という反応をされる。だから、あまり過度の期待がかかる子供もプレッシャーで潰されるだろうが、私はかえって期待されたかった。将来の夢を話しても、お前には無理だろうと鼻で笑われるようなのは辛かった(実際は鼻で笑われていたのではなく、「期待していない」ので積極的に応援されなかったという程度のことだがそのように私には感ぜられた)。

しかしやはり高校生のときに二次障害を発症したのでますます私への期待値は下がった。それでもまぁまぁいい大学に合格してしまったので、私に対する家族の反応(というか、主に祖母)は「いやそんないいとこいってもどうせ虚弱なお前には無理なんだから心配だわー」みたいな感じだった。それでも私は、うつ状態の中で掴んだ「えらい自分」への切符を大事にしたいと思った。

法学部に進学するのに失敗し(弁護士という「えらい私」をめざしていた)、文学部に進んだ私が目指した「えらい私」は、大学教員になることだった。選んだ学問に励みはしたが、その学問のために励むのではなく、その学問を修めて「えらくなる自分」のために励んだ。つまり、私にとってその学問は目的ではなく手段だった。大学院進学までそれに気がつかず、青春を棒に振っていく。もっと、「等身大の自分のために」生きていればと悔やまれる。

大学院時代にオットに出会った。この出会いは私の人生に欠けてはならないものなので、これだけはこの道を選択してよかったと胸を張って言える。それだけは。だから私はすべての経緯を否定する気はない。それでも納得できていない部分が大きい。いまオットにしがみついている私自身に納得はいくが、それまでの経緯に納得していない。それがこの正月はっきりわかったのだ。

今回みんなに将来を手放しで期待されているいとこが久々に家にきて、当時のセンター試験(これはひどい有様だった、センターの勉強に集中できていなかったので不本意な点数に終わっている)の得点率を聞かれて答えに窮した。オットのほうが圧倒的に点数が高いので、オットに話を振ったらみんな「やっぱり優秀だなー」「すごいなー」と言う。そうだ、私のオットは優秀なのだ。私のように自分の人生を掴みとれなかった奴と違って、私のなりたかった「えらい職業」に就いて、しかもそれが自分のやりたいことである人間なのだ。

私はこのブログにも書いたが、結婚前はオットへの劣等感でひどい精神状態に陥って、自己嫌悪がもっともひどかった。本当に●にたいと思っていた。自らの境遇を恨んでへんな逆恨みもした。それなのに私を受け入れてくれている。私は幸せ者だとつくづく思うのである。

私はいまでも自分のやりたいことがよくわからない。今の私の「なりたい自分」はあるのだが、それだって虚像かもしれないし、本当になったとしたら取り返しのつかないようなものだ。それは母になるということなのだ(自分でも意外だと感じる)。自分のために生きるのをいい加減やめたい。だれかのために生きたい。オットのために生きるのは無理だった。それはなぜかというと、オットは絶対的な強者なので、私の方が彼にぶら下がって生きているからだ。

しかし取り返しがつかない。私のような辛酸をなめるような人生を送るのであれば生まれない方が幸せだ。私と違う人格を持つのだからいずれは私のもとを巣立つ人間だ。「毒親」になってはいけない。だから考えあぐねている。発達の遺伝も心配だ。悪い方向に遺伝すれば、生きるのが苦しくなるかもしれない。私はそれ以上にその子にとって生きやすい育て方をしてあげたいと思うが、人為には限界がある。

あぁここまで書いたらずいぶん気持ちが整理できた。私は子を持たない方がいい部類だろうなと強く意識している。また「そうなりたい自分」という虚像に向かっているだけなのかもしれない。

私は私の人生を掴んでいるのだろうか?人生という箱舟に漫然と載っているだけではないか……常に懐疑的になってしまう、そんな年頃なのかもしれない。

 

 

 

 

ブログで吐き出す、説明し難いもやもやしたかなしみ

ずっと更新していなかったのは、オットとの生活がそこそこ安定して、かつ教育関係のお仕事をぼちぼちやっていて忙しかったというわけです。

精神障害者保健福祉手帳を取得しました。等級は2級。私は3級かと思っていたのですが、2級とは驚きました。それだけ私は生きづらさをかかえているんだと気付かされた出来事でした。

オットとの生活が安定。と冒頭に書きましたが、私のメンタルは安定していません。疲れると不安定になってしまうようで、オットの出張前日にやってはいけないことをしてしまって喧嘩してしまいました。境界例ちっくな行動を取ってしまいました。リコンのリの字がちらつくんじゃないかと思っているんですが、オットは私を愛しているように見えます。でも水面下でイヤポイントが蓄積していると思います。はやく、元気になっていいヒトになりたいです。

オットが出張に行っていていません。すると、学生時代のように一人暮らしになります。一人でやることがなければ、延々と部屋にこもってポケモンをやっています。自閉症者らしく、独自の遊び方です。任意のテーマのもとに(たとえば電気ねずみパーティなど……)新たなパーティを組んで、そいつらで「縛りプレイ」ででんどういりを目指すということを何度もやってきました。今回、ひさびさに電源をつけた「x」のソフトが初期化されていましたので、古いですがxでそれをやろうと思いました。

ちなみに、かつてはエネコロロ二匹のみでダイゴを撃破するところまでいきました。

まずはポケモンを孵化厳選します。この作業にのめり込むと廃人と化します。生活が。ご飯もろくに食べず、眠る時間も不規則に。

それでさっきお腹すいたなとローソンに重い腰を上げて向かったわけですが、私は気がついてしまったのです。(この感じ、学生時代と同じだ……)と。修論時代は廃人を封印していたので、ひさびさの感覚が戻ってまいりました。

 

私は切なくなったのです。

むかし、わたしには本心を語れる盟友が何人もいました。高校、大学の頃、同じくらいの頭脳の青年たちが集まり、将来を模索していたあの時代です。いま、20代も後半になった彼らはわたしと同じフィールドからとっくに羽ばたいていきました。もう将来をどうしようかという段階ではなく、もっと具体的な人生を考える段階に入ったのです。

私は結婚こそしましたが、精神的には青少年期のままです。生きるというだけでつまずき、いつももがいています。この気持ちを、まだ生きるのに慣れていない若いみずみずしい感性の「定型発達」のひとたちは理解してくれた部分がありました。だから大学までは、等身大の私で、比較的重い人生の悩みを語れました。しかし今は、そんな相手はいなくなりました。

最近夢に、大学時代の友人たちがでてくるようになりました。ほんの一瞬交流があったひとまで出てくるありさまです。私はあの時代のことをまだ夢想しています。私が等身大でいて、等身大の私でも受け入れてもらえた時代です。

オット出張で一人になって、私はそのことを思い出して不思議な感情の渦(ネガティブ寄り)に呑まれています。

 

 

実家の家族からも子どもを産むべきではないと言われる

私だって普通に就職して普通に結婚して、普通に子どもをうんで育てる人生が欲しかった。しかしそれは違う世界線に生まれる私を想定している。この世界線では、生まれつき結婚するまでしか無理だったのだろうか。いまから私が子どもを産み、育てるような人生を送ることができるとは思えない。結婚だってどうせたぶん性別と容姿に助けられただけで、できないあるいはしなかった可能性の方が高かった。

昔語り合うことのできた中学高校大学の友人たちとはすでに人生のステージが違う。私はすごく低いステージにいる。就職することができず、結婚してオットに寄生しているだけだ。私には人生のくるしみを語ることのできる友人はいなくなった。

実家に帰ってきたら、同い年のはとこに子どもが生まれていた話を聞かされた。私は嫌な気しかしなかった。あぁあの娘は、私の高校のとなりの、「決してお勉強ができる方ではない子たちの集まり」と言えるような高校に通っていた。高校の時に最寄駅で会うと、私のことを彼女は「キイロネズミちゃんは賢いんだね〜」と言っていた。しかしいまは、貴女のほうがヒトとしてまっとうで、極めて賢いと思います。

そして親は「おまえは自分が子どもなので子どもを産むには早い」と言うし、祖母も「おまえは子どもを生まないほうがいい、育てるのはむりだ」と言っている。私は悲しい。私だって産める女になりたかった。しかし薬を飲まないと外出すらつらい日があって、一日1ターン制で、ろくなことをできずに1日が終わる私には無理だ。自分の人生にすら責任を持てない人間が、人の人生も背負うなんてできない。私の子どもは、私に似た場合うまく育つことはできず、思春期を迎える頃には社会不適合者になる可能性が高い。普通であれば、子の人生を背負うのは独り立ちするまでで良いが、私の子どもについては、私と同様に大人になっても他者に人生を委ねないと生きていけないだろう。

私はなぜこんなに苦しんで生きているんだろう。泣き言を言うことも許されやしない。泣き言を好きなだけ言わせてくれる人が欲しい。しかしそれはできない。みんな前を向いて生きており、後ろを向いて生きる奴のことをかまっている時間もないし非生産的だ。非生産的な私は死ぬしかないのかなぁとまで思う時もある。

LGBTの人を非生産的だと言って叩かれている議員がいるらしいが、私の方が非生産的だ。LGBTの人たちは社会に貢献している。杉田さん、LGBTを叩く前に私を叩いてくれ。私の方が真に生きる価値のない者だ。

慰めはいらない、どうせ底まで落ちたらあとは自然に浮かんでくるだけなのだから。

やはりここに回帰するのかという話。

私はとうとう障害者手帳の申請をした。さいわい、周囲に手帳の申請について反対する者はいない恵まれた状況だった。実家の家族は、幼い頃からの私の困難を知っているので、「そりゃああんたが障害者になるのはショックだけど、その方が生きやすいのであれば、必要なのだから」と許してくれているし、オットはむしろもっと積極的に福祉を使うように主張していた。

改めて告白するが、私は自閉症スペクトラムで、二次障害として気分循環性障害がある。気分循環性障害というのは聞きなれなかったが、どうやら双極性障害(躁鬱病)のマイルド版といったところのようだ。たしかに生活していて、ときどき軽い躁状態が現れる。

等級は3級がいいところだろう。こちらとしては、いままでの人生の苦しみを考えれば3級なんてものではないのだが、ないよりはマシなのでこれ以上を望むことはやめておこう。

最近いろんな精神病をしらべて、自分はこれではないか、あれではないかと当たりをつけていた。しかしどうもしっくりくるものがなく、「自閉症スペクトラム」というところに回帰すれば、なんとなくしっくりくる。臓腑に落ちた、という感覚があるのだ。やはり、自閉症スペクトラムがすべての生き辛さの根本的な原因をなしている。

あのときああやって苦しんだのも、あのころああやって毎日死にたいと思っていたのも、いまパニックの中生きているようなのも、すべて自閉症スペクトラムのためなのだ。そう考えたらホッとする。私のせいではないと思えるからだ。

私は残念なことに「普通に見える」。これは名誉なことでもある。優秀だと評価されることが多いのは名誉だ。しかし実際はポンコツで、うまくいかないことをたくさん抱えている。だが、いくら訴えてみても、表面上イメージされている「優秀な人」という印象は拭い去ることができない。なにか窮状を訴えても、「またまたぁ〜」と、受け流され、大したことはないと思われてしまう。だから、普通に見えること、見えない障害を抱えることはとてもつらい。

では、お前は見るからに障害をもつ人という感じで生きて、「普通な人扱いされない人生」を送るとしたら、どうだと訊かれたら、これまた嫌だと思う。普通な人扱いされないことへの苦しみもやはり存在するだろうと想像できるからだ。

私はまず障害を乗り越えたい。のりこえるというのは、治すという意味ではなく、改善するという意味でもなく、とにかく二次障害を楽にする、生きやすい私への旅である。それをしないと、私は人生を切り開くことができない。切り開きたい。かつての同級生や先輩、後輩が立派な仕事に就いているのを見て、つらくなる。私は数年前、彼女たちと肩を並べて勉学に励んでいたのに、いまは、障害者であることを受け入れざるを得なくなった。そして障害者ではなく、成功をつかみつつある人々に嫉妬する醜い人間と成り果てている。

私は、つらい。私は、障害者になる。つらくなくなるために、まずは障害者として生きてみよう。