久々の投稿。

今年の4月(正確には少しフライングしていたが……)私はみちのくに引っ越した。引っ越してから2ヶ月が経っているが、私はまだ杜の都に慣れることができず、引っ越し憂鬱の状態が続いている。思えば名古屋でも京都でも、慣れるのに一年はかかったので、仙台(ここにきて伏せるのをやめる)もそんなもんだろう。ただし、学生を終えたいま、仙台での暮らしはより困りごとが多い。学生を終えると、友人を作ることが困難になる。大人というのは悲しいもので、新しく気のおけない友人を作る機会がガクッと減るのだ。モラトリアムを割とながく延長してきた私は、齢26にして初めてそのことがわかった(あぁ、年齢バレましたね)。

今思うと名古屋、京都と、仲のいい友人が定着したころにようやく慣れが生じたので、仙台でなかなか慣れないのは当然である。いま私は友達がゼロと言っても過言ではない状態にある。「おひとりさま」は昔よくやっていたが、Tちゃん(婚約者)と出会ってから一人で行動する機会がめっきり減って、人間としての自立レベルが大幅に下がってしまった。

私は大人になるってのは、一人でも平気だということであると思っている。つまり私はいま幼児退行した状態にあり、また「一人でも平気」な私を取り戻す必要があるということだ。

なぜTちゃん依存が強まるかというと、この地域で私が頼れるのが彼だけだからだ……仙台に来てから人間としてのレベルが大きく低下しているように感じており、ライフハックの必要性を強く感じる。

ライフハックとは何か?うぃきぺぢあを見ると、「自身の生活や仕事のスタイルにおいて「気の利いた手段で、もっと快適に、もっと楽して、もっと効率良く」という方法を得ようとしていくこと」だそうである。私はいまとにかく生きることに必死すぎて、なにも体系だった生活を送れず、無駄な行動をしては疲労を蓄積させている。もう四半世紀も生きたのだから、要領よくいきたいものだ。

ライフハックのためにカーブスというジムに入会したり(健康のためよ)、家事で疲弊するポンコツなので「おいしっくす」なるものを頼もうか検討したりしている。しかしこれら、お金がけっこうかかる。昔やった「進研ゼミ」と同じで、「豚に真珠」にならないか。豚に真珠ではなくて貴婦人に真珠であれば、カーブスだとかオイシックスだとかも浮かばれるのだが……。ジムは頑張って行っている。お陰で1ヶ月で少し力こぶがわかるようになった。

ライフハックついでに、最近わかったことは、私は向学心が旺盛なので、勉強を毎日頑張れば精神が安定するということだ。学生時代が終わればそんなことはないだろうと思っていたが、相変わらずの傾向のようだ。私はいま心理学の勉強を進めている。

人間は生きる意味を模索するようになってからダメになったのではないか。

人間(この場合一定以上の先進諸国の国民、とりわけ日本人を想定している)の精神にとって、「近代」のもたらした功罪。私はやたらこれを考えている。良きところはたくさんあったと思う。物質的に豊かになったという点において、これ以上恩恵を受けた国もほとんどないと思うからだ。もし「富国強兵」に出なければ、日本の行く末は、一体どうなっていたのだろう。
しかしその裏に生じた悪しき面について、必ず目を背けてはいけないと思っている。「自己実現の欲求」が最高次元の欲求だと定義したマズローの議論はいまだに現代社会で習うほど幅を利かせているのであるが、この「自己実現」というやつはかなり曲者である。
近代から現代に至る過程で、人々は「みんな平等だ。頑張れば、下克上できる。頑張れば富を築いて、幸せに暮らせるんだ。やりたい仕事ができる。生き甲斐が生まれる」と思い込まされた。そのための装置として、上野千鶴子氏や山田昌弘氏などの社会学の偉い先生たちが指摘するように「学校」があった。しかし実態として、どうだろうか?必ず頑張ればなんとかなるのか?といえば、そうではない。私たちの親世代には、そのように信じたが上手くいかなかったので仕方がなくそこそこにお勤めをし、そこそこのところを甘受している人が多いのではないか(ちなみにうちの親もそうだ)。
その子世代は、いま就労の義務の前にもがいているのが多いと感じる。ニートや引きこもりがそれだ。私は斎藤環氏という「引きこもり」に詳しい精神科医の本を読んだが、私のメンタリティは引きこもりのそれだった。結婚というカードを切ることができたから、大学院修了後私は「専業主婦」という隠れ引きこもりのカードを得ることができたが、しかし引きこもりメンタルであることに変わりはない。
近代がもたらしたのは、経済がまだ成長していたバブル期までは間違いなく恩恵であり、「頑張ればそれだけのバックの見込める社会」である。しかしバブル崩壊後、近代のもたらした恩恵であるはずだったものは紛うことなき「絶望的閉塞感」に成り代わっている。
頑張っても必ず報われるわけではない。それどころか上野千鶴子氏が「サヨナラ、学校化社会」で述べるように、自己肯定感を残酷にも子供達から剥いで行ったせいで、頑張る気力もない、あるいは頑張り方もわからないような子供達。若者たち。
私はこういう社会の負の側面をもろに受ける形で大人になり、いま苦境にある。結婚前の人にはとても見えないよ、と精神科の先生に心配されている。いままであなたは頑張ったのだから休んでいなさい、と言われる。

何も、生み出していないのに?


私はこの先の人生、何も生み出せないのか?


私は、幼い頃から死の恐怖から目を背けることができなかった。人間は必ず死ぬということ。自然とやってくる死が恐ろしすぎて自殺したいと考えるほどに、死を逃れるために死にたいと考えるほどに。私の希死念慮は9割方死への恐怖から来ている。なんとパラドキシカルなことだろうか。
そしてこの、「死から目を背けられない」というのもまた近代がもたらした病だと思われてならない。
自己実現しよう、というスローガンはすなわち、われわれに「生き甲斐を持て」というメッセージを与えるものと読むことができる。生き甲斐がなかなか見出せない社会で、死が間近なものとして意識されてしまうという構造があるのではないか。生き甲斐がない、ということは、自然人に哲学的思索の時間をもたらす。なぜ生きるんだろうと考えねばならない。しかしそのことは同時に、いずれ何事をもなせぬうちに死ぬに違いないということを気づかせてしまう。

神様のことを私は思い出さないといけない。神様のもとに魂を譲り渡せるその日まで、私は子羊であろう。

口頭試問後の所感

私は口頭試問を終えて来ました。口頭試問を経て、解放されて楽になるかと思ったら余計に苦しい状態に立たされたような気がします。

私の修論は先生方の間で高い評価を受けました。天下のナントカ大と呼ばれる大学のうちの1つの大学院の教官が、そのような評価を一学生の論文に下すということは、どうでもいいからはやく出て行けと思われているのか、本当にその論文が評価されたかもちらかだと思う。どちらだと思うことも怖い。

仮に私の論文が本当によいものと評価されて褒められたのであれば、私はひどい空虚感に襲われることになる。なぜなら、私は修士の3年間をただの消化試合のように過ごしたという自覚がある。研究は精神病をどうにかすることの次の課題であり、二の次にして来た。それでも真面目だから執拗に頑張っていた側面もあり、それで精神を余計悪くした感がある。ドクターに進学しないと決めたのは、決定的な精神薄弱が私の研究者としての前途を必ずや阻むだろうと確信したからであった。

私はたしかにこの修士論文を書いて、1つの「作品」を完成させた。先生も完成度の高い論文だとか、高い水準のものだと言ってくれている。大部なものだが誤記も少なく読みやすいそうだ。私は誤記だらけだと鬱っぽくなっていたが。私は、論文がどうしようもないゴミ論だと信じて疑わなかったが。

口頭試問で、私の見ている「私」の像は完全なる虚像で、認知が歪みきっていることを再認識させられた。自身を正しく評価してやれないことが、いままでに私の人生をどれだけ損なものにして来たのかを思い知った。それで私は、「褒められた!やった!」とか、「ついに解放されたぜ」という思いを抱けずに、また落ち込む羽目に陥っている。

ここまできたらもはや、落ち込むのが趣味のようなものだ。母にはよく言われている。「お前は落ち込むのの、不安になるのの材料をいつも探してくる。それは趣味のよう」だと。私はこの癖をやめたい。ASDの傾向が生まれつき不安障害を持つ状況を生んでおり、もはや悩みなき自分など自分とは言えないという感がある。

引っ越したら障害者手帳を取得するかどうか、真剣に考えるつもりだ。

大学院生って……

大学院生という身分で3年間いさせてもらった。院試の準備のために研究生をしていた1年も含めると、あしかけ4年のロスタイムであった。大学時代まで私の周りには同じように学生を22.3歳までやる者がほとんどで、地元の友人にも、公立ではあったが思いのほか一定レベル以上の大学進学者が多く、帰省しても話が合った。とくに、中学時代からずっと仲良くしている3人組で集まると、そのうち一人は高卒で就職しているが、それでも「私たちはあのとき(箸が転がっても笑った中3のころ)から何も変わらない」と思え安心できたのだった。

しかし2人目が大卒で就職したら、私は社会に出られずに大学院にモラトリアム的に逃げ込んで、研究に邁進することもできない自分に嫌気がさすようになった。最初のうちはまだやる気があったし、「私は私でずっと人生の労苦を味わっているのだから、彼女たちが働いているのに私は学生で楽しているなどと思わなくてもいい。院生なりの苦労があるし、私はそうでなくても精神を患って苦労しているのだから」と言い聞かせることができていた。

だが、就職3年目で異動があった県庁に就職した真面目な友人が職場での不適応で悩まされる様子を目の当たりにして、私は不条理を感じていた。私と同じように彼女は苦悩しているが、その内実は全く違うのだ。私は学生である限り、どんなに苦しもうとも社会的責任からは遠ざかることができる。しかし彼女は違う。どんなに苦しくても、「辞めます」と言わない限り労苦は続いて行くのだ。しかも、私のように自分の人生のための悩みだけでなく、職場でどうやっていくか?そういう、人生と直接関係のない悩みで心身が蝕まれるのだ。

もちろん、職場のことに苦悩した結果人生の果実がもたらされることはあるだろう。ノウハウを身につけて、みんなに慕われて、そうやって年齢を重ねた頃に「これでよかったんだわ」と思える日がきたとしたら、それは彼女の勝利だ。しかし悩んでいる渦中では、自分の職場について悩みがいかに有限の人生を浪費しているのかに思い当たるのではないか。

それに比べて、学生である私はどんなに苦悩しようとも、「私の人生のための苦しみである」という自覚を持ちながら喘ぐことになる。どんなにかそれが苦痛を伴うものであれ、人生における光を探しているという確信がある。

これは大きな差異ではないか。このように思ったとき、私は自分がもういい歳なのに社会的責任を放棄して自分の人生を乗りこなすことだけに集中して、大変甘えていると自己嫌悪に陥った。すでに働いている昔からの友人たちに、申し訳ないという感情が沸き起こった。彼女らはそれでも優しいので、「院生さんには院生さんのつらさがあるでしょ?」と労ってくれる。そんな友人がいて私は幸せ者だ。

私はまだ口頭試問を終えていないが、試問で先生に暴言を吐くとか、ふざけた態度をとるとか、そういう突飛なことをしない限りはまず修了できるだろう。修士論文は合格ラインには達したと思うし、こないだ話した先生の口ぶりではまぁ、私を修了させる気でいるようだった。そして修了したら私は、いままでの「何かに追われる生活、これこれのテスト、このこれの課題をクリアしなければならない」という、6歳の時から直面し続けた相次ぐ落伍恐怖から解放される。それは私にとって不安でもある。これまで、落ちこぼれを恐怖する気持ちで私のほとんどは成り立っていた。だから、それがなくなったとき、私は空っぽの人間になるだろう。

私はほぼ専業主婦になると思う。Tちゃんは私をよもやまともに働ける人員としてみなしていないだろう。それなのに私と結婚することを欲した。それでも私は有益な人間になりたいと思う。落伍恐怖がなくなったとき、私はどうやって自分を立て直すのだろう?

現在のもっぱらの不安は眼前に迫った口頭試問であるが、それが終わったらさらに難しい悩みが、私を待ち受けているということだ。

日本人は生きづらい人種か?

今日、とあるイベントに参加してきた(久々の更新)。東京新聞の記者望月衣塑子(いそこ)さんと、エセックス大学の研究者である藤田早苗さんによる、報道の自由を規制しつつある政府についての危機感を共有するための集会である。

私はもともとあまり政治に興味はない方でノンポリだった。この国ではノンポリはある意味、特権階級の印である(ここでいう特権階級というのは、高い教育を受けた層のこと)。政治を真剣にやろうというエリートは日本には少ない。日本では政治家は、「使えないボンボン/お嬢さん世襲議員」か、「自己顕示欲が強いバカ」のなるものだと思われているきらいがある。だれかが政治談義など始めようものなら、周囲の者は「そんな高尚な話は」とか、政治観の違いにより喧嘩することを恐れるのが関の山である。

政治をどうにかしようと声高に叫ばなければならないのは、社会の下層で苦しんでいる人たちだ。そういう人たちは基本的に高い教育を受けるのが難しく、学歴を見ては「大したことない奴が政治やってる」と言う学歴厨がいる。はたまた東大出や早稲田出が政治をやると、「賢いくせにバカ」と罵ってみせる。私はルーピーはとやまさんを思い出す。彼の時代、日本の報道自由は一番高かったそうだ(国連のランキング12位。なんと今は、72位。韓国より低い)。鳩山時代はいわば、言論の春の時代といってもよかったのである。あんなに、ルーピーだとか宇宙人とか言われたのに。

私たちは、じわりじわりと自由が規制されてきている状況をなんとなく肌で感じていても(就職しにくい、なんとなく生きづらい)、諸悪の根源がどこに渦巻いているのか知らないままだ。中国、韓国、北朝鮮、ロシアなどをスケープゴートにしては「ネトウヨ」が喚き散らす。「周りにゴロツキ国家ばかりある。その中で日本は掃き溜めのツルのごとくだ」と考えるのが紋切り型であろう。周りにゴロツキ国家ばかりであることが、日本を相対的に「美しい国」に見せている。

よく考えて見てほしい。日本より国民が幸せそうにしている国を、知っている限り挙げてみてほしい。それは、よく海外を知らずにイメージだけで話しているのだと言われる場合もあるだろう。実際そういう場合もあるだろう。しかし、目をつぶらないで欲しい。自分たちが生きる日本という国は、本当に幸福だろうか?生きやすいだろうか?

蔓延する神経症、自殺する若手会社員、女性が専業主婦をしているのが一番幸せだと言ってはばからない現状。確かに専業主婦がいちばんいい。今の日本社会では少なくとも、外に出て「男並み」に働かされるのを避ける、すなわち専業主婦となることがいちばん「マシ」なのだ。国連の基準では、そうではない。女性は自分らしく働く自由がある。だから国連基準では、専業主婦に甘んじる日本の女性たちは「自由を迫害されている」と思われてしまう。しかし社会状況に照らせばそうではない。彼女らは、「専業主婦となる自由」を積極的に行使したがっている。しかも高レベルとされる大学にそういう女子が意外なほどに多い。学生終盤になって彼女らは、日本社会の、日本政治の欺瞞に意識下で気がついている。


私はこれまでの2x年間よく勉強した。次は自己効力感を身につけて、社会に学んだことをアウトプットしたい。どういう形になるか分からないが、修士論文を終えたあと、私の真の「人生の夏休み」をここから始めようと思う。


なお口頭試問w


私の修士論文への葛藤

私は、修士論文を書くのにいま非常に苦悩している。アウトラインはできている。何を書くのか理路整然と説明はできる。だったら、普通はあと書くだけで、なんらの苦労は要らないはずだ。

しかし大きな問題がある。私にはこの3年間、研究生活が困難になるほどの問題が次々に襲いかかってきた。これらは私がしっかりしていれば防げたところも多い。異性がらみの問題や、性自認の揺れの問題、心気症、彼氏との関係についての悩み、自己否定感によるひどい抑うつや、希死念慮。すべて心の弱さから来ており、私が悪いと自責することは容易だ。だが本当に、容易だろうか。私にはどうにもできなかったのである。溢れ出す負の感情、不安、それらは薬でどうにか制御したが、その薬は副作用が強い。歩行がおぼつかなくなるようなものだった。

よって私の研究活動は遅々として進まず、「あまりサーベイできていない」という致命的な問題を抱えている。あと3ヶ月で出さなければならないのだから、いまさらサーベイしている場合ではない。だから、少しご法度な向きもあるが、今まで読んで来た少しのものと、あとはどうしても必要そうなものを掻い摘んでちょっと引用するだけくらいに留めないといけない。

なんだかんだ50くらいは読んだと思うが(しかしこれらも一部しか読んでいないのがほとんど)、本当はこれの倍くらいは読んだ方がよかった。まぁD進しない人の修論は得てして参考文献数が少な目になるので、とりたてて少ないというほどはないが……。

サーベイ不足で重要な研究潮流を見逃すことは最低限度、してはならない。しかしそれがないのであれば、自分の書きたい歴史像が大体定まっているのであれば、それらを書き起こせば良い。史料をしっかり読み込み、適切と思われる解釈を与え、新たな歴史像をその分野に付与してやることが重要である。

レファレンス数が少ないという問題を気にしているのならば、そんなのは最悪、元気になったあとに付け加えれば良い(提出後の差し替え……先生方に直談判したら認めてくれるだろう)。もはや、今となっては修了が最優先である。とにかく、締め切りまでに最低限のレベルには達しておくことだ。そのくらい、私の「はったり力」を持ってしてみれば余裕である。私には文章力があること、これは幸いだ。

それから、先生に私の置かれたこの3年間の苦しみについて情状酌量をいただくのを忘れないでおこう。どんな血反吐を吐く思いで、私はいたのか。私はとある事情から今年度絶対修了する必要があるので、最大限度の力は尽くすが、それでもサーベイ数が多くないし少ししか読み込めていない文献があるので、少々物足りない部分が出てくるかもしれないこと。

私は、私のために歴史学をやった。私がいま、少しでも苦しくない道を行くために選んだ学問だった。高校生の頃から私は精神が悪かった。それでもなんとか進むには、目の前にあるカードを切るしかなかった。私の目の前には歴史学社会学、心理学の3つのカードがあり、偶然が重なった結果、歴史学を切った。

将来を見通して、歴史学を選択したわけではなかった。学者になりたいというのも本当は建前だった。私が真に模索していたのはただただ、「どうしたら、苦しくなく生きられるのかなぁ?どうしたら、私は死にたくなくなるのかなぁ?どうしたら、どうしたら……」ということだった。

私の前にTちゃん(彼氏)が来た時、私は、歴史学の役目はここまでだと思った。彼女(女性名詞である)は確かに、Tちゃんのところに私を連れて来た。立派な役目を果たした。私はここで、歴史学への興味関心を喪失してしまった。

それと同時に、Tちゃんというできた彼氏との日々が始まる中で、私はアイデンティティの崩壊との葛藤が始まった。私は自己肯定感が著しく低い。彼には釣り合わない。だが彼に依存しており、彼がいないと生きていけない。それでも、彼には釣り合わない。

私は内部で分裂した。彼とともにいたい私と、私を消し去りたい希死念慮との戦いだ。彼と合一し自分をなかったものとするか、はたまた死ぬかの二択だ。私には決定的に自己肯定感が欠如していた。彼と「おんなじ人」になることでしか、私の生存の道はなかった。私は私を否定しているから、素晴らしい「かれ」と一緒でなければ、生きていくことはできない。

それなのに、彼は私には眩しくて、私は死んだ方がいいのかと思った。

生きるか死ぬかの葛藤がそこにあった。その中で、歴史学への興味などとうの昔に、地層の深いところに沈んでしまった。それでも、修論は書かなければならない。いま一生懸命、Tちゃんのところに連れて来てくれた優しい彼女との再会を果たすべく、私は頭を抱えながら、パソコンに向き合っている。

司書講習の夏はやたら長かった。

長かった。と過去形にして書いているが、まだ終わっていない。身バレを避けるために、どこで司書講習を受けているかを具体的にいうことは避けるが、私は短期集中(決して短くはないが)の司書講習に今夏、やってきたのです。

始まってからもうけっこうな日数がたっており、3分の2は日程を消化した。最近ブログを更新しなかったのは、この司書講習が大変ハードだったからだ。今もすぐさま寝たいくらい疲れているのだが、かねがねそろそろ更新したいと思っていたので、書こう。

私はこの司書講習の間京を離れているので、いつも通っている診療所(神経科)に行くことができない。そこで、学部時代にお世話になった(以前通っていたが引越しにより中断した……あ、身バレフラグ)病院に再び通い始めたのである。つまり、私は大学時代を過ごした場所の近郊に戻ってきているのだ。

こちらに戻ってきてから、いままでずっと考えてきた、「なぜこんなに生きづらいのか問題」を相変わらず考えていた。結局まだ答えは出せていないものの、ふとネットサーフィンをしているときに見つけた診断テストを行うことで、また私は新たな仮説を発見したのだ。それは、「愛着障害」である。

私は自分のことを理解するためには努力を惜しまないので、愛着障害についての本を購入して読んでみた。久々のお医者の先生にも、この疑いについて話してみた。そしたら、先生もそうだと思い至ったようである。私は、愛着障害の原因であるところの幼少期の養育環境について、あまりこの先生に話したことがなかったのだった。

愛着障害という精神病理は以前から名前を聞いていたのだが、それは「母と子の関係が悪いと発症してしまう」と理解していたため、私は母との関係が悪くないことから、スルーを決め込んでいた。食わず嫌いならぬ、「調べず嫌い」のような状態にあった。しかし、そんな白か黒かのような、母との関係が「いい」「悪い」だけで発症するか、しないかが決まるような単純なものではなかったのである。子供の脳は可塑性に富んでいるから、非常にデリケートであり、ちょっとしたことで発達段階におけるエラー判定が出てしまうのである。たとえば、養育者がちょっと鈍感な人で、子供の「ぐずり」に適切に対応できないことが多かっただけで、その子は根源的な安心感を得られなくなってしまう。この根源的な安心感というのが、生きる土台であり、人間の最初の発達段階である。

あからさまな虐待被害児は世間からもかわいそう、と言われるが、私のように表面上はそれなりに恵まれているように見える人間には、「社会不適合者」「人間の失敗作」という評価がつけられてしまう(というか、自分でそう評価していた)。

そしていま、四半世紀を生きてしまい、私は絶望して泣いてしまうことがある。私の脳はもう可塑性がなく、もう私の人生は閉じていると。しかし、どうにかしていまより「善く生きる」ために、自己実現を果たすために、私は失われた生きるための土台を探さなければならないと感じている。


司書講習の話を冒頭でしたきり放っておいたようだが、私の話はつながっている。司書講習を受けにきたことは、私の生きるための足掻きの最初の一歩である。この先の人生を生き直すための1つの試練として、あと少し踏ん張りたいと思う(その後に待ち構えている修論修論で毎日が試練の連続だが、今は構想を練ること、史料のまとめに集中し、まだ執筆していない……やばいが、まぁなんとか「する」)。