ワイパックスではない。

抗不安薬を服用するといつも気分が高揚して楽しくなるのだが、私はいま、飲んでもいないのに気分が上がっている。だからまた気分が翳る前に、フレッシュなうちに、何についてテンションが上がったのか書き記しておきたいと思う。

大学院に進学して早くも3年目(恥ずかしながら)になるのだが、私はその間、ずっと自分がなぜ生きているのかも分からず、生きるのも苦しく、どうにか生きている意味を模索しているような段階にいた。その原因はこれまで散々書いて来たように、実家が隠れ毒親家系であることが影響しているのだと思う。

一昨年度にプチ転機があり、昨年度に大きな転機があった。転機続きである。こういう状態になると、悪い意味でテンション・ハイに陥る。つまりは躁転してしまうというわけだ。

まず、2015年度にあったのは、自身へのひどい女性性嫌悪からの解放だ。とはいえこれはまだ多少残ってしまっていることが最近判明したのだが……根底のところでは残っているが、表層的な部分に露見せずに済むほどには解消されたということ。

続いて、2016年度にはTと出会ったので(彼氏)、有無を言わさぬ女性性の需要を経験し、これまで結婚できないという人生設計でいたのが大きく転覆した(ただし現在未入籍)。

これらを経験して私は本来のあるべき姿(女性)を取り戻していったと考えられる。これは良い傾向であった。しかしまだ大きな課題が残されていることも確かである。

私はアダルトチルドレンであり、発達障害であり、境界性人格障害であり、結果的に結構難儀な精神病者だと認識している。発達障害だけは先天的なので、それの影響で幼い頃から気分不安定性が認められ、その上に恵まれぬ家族構成と成員、社会環境(学校でのいじめや教師からの冷遇が相次ぐ)のために精神がおかしくなった。結果的に、得て来た学歴(まぁ頭でっかちなので学歴だけではダメだという向きもあろうが、何もないよりはマシかと思っている)にしては著しく自己肯定感が低くドン引きレベルである。顰蹙ものである。多分、自己肯定の唯一の発露が学業であったからこうなった。

大学の学部まではこういうハリボテ学問クラスタでもなんとかなるものである。しかし大学院に行くとそうはいかなくなる。大学学部までは結局「学校」であり、卒業論文すらも大した専門性は要求されない。最悪、べんきょうしたことを書けばいい。私は一般的な卒論生よりは専門性の高いものを書いたはずだが、多くの学生のレベルだと、学部段階では専門性を求めるに至らないのである。そして自分が学問という大会においていったい何をしているかもこの段階では曖昧模糊としているのが常なので、ここには「自己実現欲求」が介在する余地がない。

マズロー欲求段階では4段階目(承認欲求)を卒業論文でクリアし、修士論文から博士論文にかけては「自己実現欲求」と対峙する必要があると私は考える。私は承認欲求を十分にクリアできる卒業論文を書いた。しかし、私は幼少期から社会的に承認されてこなかった。私に極めて大きな影響を与えた祖母は私の頑張りをいつも素直には認めなかったし、どうせ失敗するから無理をするものでないと言って挑戦を応援しなかった。私は承認の請求権すら与えられてこなかったのである。

私がクリアできたのはマズローのいうせいぜい3段階目(社会欲求と愛の欲求)までて、4段階目はクリアできなかった。卒業論文を書いても、4段階目はなおクリアできなかった。当時は教員からやたら褒められた。いまだに古巣の学部時代を過ごした大学の教授が「いつでも戻って来ていい」と言ってくれている。私の卒業論文ごときを高く評価してくれたのだ。それなのに私は第3段階にとどまった。祖母の幻影(まだ生きてます)が第4段階への移行を阻んでいるのである。

私は自己実現欲求以前に、第4段階にすら到達していないのだ。今日の分析で身に染みてわかったのである。

逆に考えたら、第4段階に到達できた時、私には無限の可能性があるのではないかと思った。第5段階の、最も高次の「自己実現欲求」はふつうはまだ若い院生には満たせないが、それを目指して頑張って行く段階である。私はこれを第3段階で足踏みしながら行わなければならず、そこに大きな不安と自己不全感が付き纏ってくるのは至極当然の有り様なのである。

したがって、私は第4段階へステップ・アップしたとき、また自分の研究を楽しく思えるようになったり(研究活動の再開)、あるいは何か別の仕事(たとえば図書館員としてや、翻訳者としてなどが考えられそう)にやる気になったりする可能性があるのだ。

先ほど改めて修論のアウトラインを考えていた。すると、なるほど、この研究も第4段階に進んだ時にまた違った風に見えるのだろう、と思った。そしたら、その先にある無限の可能性を(いまは靄がかかっているが)見据えて、ワクワクしてきたのである。

第4段階以降に進むために、私はどうしたらいいのか。それは、ひたすらに祖母の幻影、血統の幻影を振り払い、一個の人間として確立されることである。つまりはこれが自己肯定感であり、私を真に救う救世主となりうるのである。


さて、さすがに明日の講義に間に合わないとやばいので寝ます。

うたと私

はいつ歌が好きであると気がついただろうか。最初に歌ったのは、保育園に通っていたころ、ひいばあちゃんと遊んでいるときに不意に口ずさんだ即興のしょうもない歌だった。そのとき、私は自分の音感とか、声が綺麗かどうかとか、気にせずに歌っていた。ただ言葉ならぬ言葉を繰り返しながら、一定のメロディにその言葉を乗せていた。

保育園年長から小学校のころに習わされた「鍵盤ハーモニカ」が私は大嫌いだった。ピアノを習っていなかったので、うまく吹けなかったのである。ピアノをしている子はスラスラできていた。これが私の大きな躓きの石だった。年長のとき、練習をサボって先生に怒られたこともある。鍵盤ハーモニカ棚の後ろに隠れていた。クラス随一のチビで欠席がちの私がいないことを、練習が終わるまで先生は気づかなかった。そして終わったころ気がついて、鬼のような形相で私を睨んだ。当時祖母と同じくらいの歳だったその先生はまだ70代で先日亡くなったと聞いた。先生、私は音楽が好きになりました。

……だが歌は別だった。歌を得意だと気がついたのは小学校何年生だったか忘れた。忘れたが、記憶に鮮明に残るのは小五のときの歌のテスト。確かコンバースの「星の世界」という歌だった。当時の担任は厳しい人で、厳しすぎのせいで問題視されて小学校を早く転任になってしまうような人だった。彼女は私をよく傷付けたが、このときは違った。私は声が小さい。声が小さいけれど、「音程がすごくいい」と驚き、大変褒めた。それほど音程が抜きん出てよかったのだ。私はピアノもヴァイオリンもしていなかったので音感があるはずもなかったが、父親が音楽好きの人だから、クラシックのCDをよく聞かされていたからなのだろうか。とにかく音程はよかった。

それから、中学生の時は、クラスのみんなの前で歌を披露しなければならない、それが歌のテストである、という時があった。その時愛唱曲集の中から好きな歌を選ばされた。私は親の車でよく聴いた、スピッツの「空も飛べるはず」を選曲した。この歌は母が好きだと言っていた。「幼い微熱」ってなんだろう。「神様の影を恐れて」ってなんだろう。私は風邪をひいた主人公が、自分は死ぬんじゃないかと思っている情景を思い浮かべた。そして、実際私は風邪をひいて微熱がある時、自分は死ぬのではないかと恐れおののく気持ちがした。だからその歌は私の中で、人生で初めて死を思った切っ掛けだった。余談だがなぜかスピッツ「渚」も死を思ってしまう……(草野マサムネ氏は、曲を作る時、性と死を思っているそうだからこの感覚は正しい)。

話が逸れたが、私は「空も飛べるはず」を歌った。歌い終わった時、教室がわずかにざわついていたと思う。引っ込み思案でおどおどした私が意外にも上手く歌うのにみんな驚いたのである。

私はこのように、さえない義務教育時代の自尊感情を歌に支えられながら送った。歌を歌うと、私は私でいられるような気がした。私は人に認められたい一心で歌を歌った。うたは、言外の筆舌に尽くしがたい思いを無形のかたちにして人に届ける。人が自分と違う受け取り方をしたとしても、それはそれとして面白い。そうして聴いてくれた人もなにかを感じて心象風景が豊かになってゆく。

私は場面緘黙症で、学校ではうまく人に言葉を伝えることができなかった。あの日々はつらかった。周りが怖くて、声が出ず、少しでも声を出さざるを得ない時は吃音の症状が出て、いじめられる恐怖、自己嫌悪と戦わなければならなかった。20年近く前だからまだ場面緘黙症なんて知名度が低く、誤解を受けてばかりだった。だからこそ、うたは、私が私を表現できる限られた機会だったのだ。

だから私は高校の時、飛びつくように合唱部に入った。大学のサークルも混声合唱を選んだ。そして今も市井の合唱団に所属している。しかし気づいたことがある。合唱するにも、お金がいるのだ。要り用で、虚弱な私はバイトができない身の上だから、どうしても賄うことができないでいて、ついに手をつけないでおこうと思っていたつらかった短期バイトのバイト代に手をつけるところだ。親にも彼氏にも反対されて、また自分自身お金を工面できないことから、次のコンサートが終わったら一旦退団を申し出ないといけない。私は悲しい。どこかで私は歌を歌いたい。悲しみのない自由なそらへ翼はためかせて行きたい人がいるらしいが、私は悲しみのない自由の身になって、いつまでも歌を歌えたらいいのに。長年の鬱病があり、不自由で、歌を歌う場所はどこにもなくなってしまう。

今後の目標

今後の目標(2017/6/13)
 いつも私は行き詰まりの打破のために、今後の目標をまとめることにしている。今回から、たびたびこのブログにもアップしていくことにする。
① 健康面に関して
 あまりよろしくない。彼氏Uと一緒にいるときに悪化しやすい傾向。これはなぜか。私の予想としては、私が彼氏Uに甘えているがために、私はどのくらいまで精神脆弱になってもよいだろう、受け容れてくれるだろうと考えてしまい、「自分で立つ」ことが不可能になっているのではないか。
 一人でいる時間のほうがしっかりした自我を感じられるし、また精神生活も充足しているように思う。私は意図的に一人でいる時間を増やすように努めたほうがよいらしい。彼氏Uがいないということで生きていることによって生じるどうしようもない不安を紛らわせることはできるが、自分の人生を生きることを放棄しているような感じである。
② 学業に関して
私は修論に取り組まなければならない。それはわかっているが、現状では、書くことを考えると足がすくんでしまうという、学部の時の卒論時と同じ症状に見舞われている。今回は卒論より専門性が高いものを求められるのだから、あのときより高い舞台から飛び降りる決意が必要である。何としてでも、書かなければならない。
そこで、考え方を変えなければならない。確かに、今後の人生のためには(D進を将来的に考えるにしても、考えないにしても)できる限り優秀な論文を書くべきであり、そうしたいと思っている。だが、論文が下手だからといって別に死ぬわけではない。いまの時点で用意できるものを、調査したものを、それらしい結論へとまとめられればそれでいいのだ。こうして書くと、たいしたことは要求されていないではないか。そして修論を書くのは、修論を書くためにではない。いま私は、修了するには修論を書かないといけないから、修論を書かねば。という息の詰まるような思考をしている。これがよくないのであろう。モチベーションが確実に下がる考え方だ。ならば修論を、なにか開かれた素晴らしいもののために書くと考えよう。私の場合、修論を書いた先には、彼氏Uとのいろいろあるだろうけど楽しい幸せな生活が待っているのだ。そのために修論を書く。素晴らしい人生のために書くのだ。
③ 司書講習について
司書講習に行けることになった。愛知学院大学である。こうなったら、私は絶対司書の資格を取り切ろう。単位を落とさぬように、頑張ろう。9月の下旬には、帰ってきてちゃんと修了証を見せられるように。結婚してから、司書の仕事をする自分をイメージしよう。司書講習の間、いろんな人との出会い、いろんな新しい知識との邂逅があるだろう。それらが今後の人生の花を咲かせるときの肥料になってくれることを期待している。

小さな成功体験は難しい

私には保育園に通っていた頃の記憶が断片的に残っているし、小学生のときの記憶もかなりの鮮明さで残されている。自我の成長が自分の中だけで早く、家の外では一切誰かと話すことができなかった(場面緘黙症)ために、対外的な経験から獲得されるべき部分では自我の成長が遅れていた。それだから、周りから不当な扱いを受けてしまうことが多くなっていた。

主に上述の理由だが、他にもさまざまな要因が複合的に作用して、私は物心ついた頃から自尊感情が低かったので、それがデフォルトであり、何か挑戦しようとしても恐ろしくなって病的な不安にかられ、本来の力を発揮できないことが殆どだった。それでも平均より優れたパフォーマンスを上げられることも多いものだから、元々の能力は恵まれた方だったのだろうと醜くも自負している。

最近、私はひょんなことから短期バイトを始めるに至った。5月までの短期間である。このアルバイト、チラシを配るものなのだがそれだけではなく、道行く人にその施設の無料体験会の来場を約束させることまでが業務であり、かなり高度なコミュ力を求められる。ほとんど断られるのはわかった上で、宝探しをするようなものだ。この仕事は私には全く向いていないと思って心配だった。しかし、やり始めるとこれが楽しい。そっけない人、愛想がいい人いろいろいる。愛想が良くても断る人が大半だ。それでも、めげずにやることができるようになった。断られているのは私という人間じゃない。今の私はいつもの私ではなく、「アルバイター」という別人格……と思ってやるようにしている。

私は自尊心を保つために「成功体験」を積むことが大事だとよく聞いてきた。それは私にとって嫌だったし納得ができなかった。成功体験に至るまでのハードルが高すぎるように思え、それができたらここまで自己肯定感がない人間にはなっていないよ、と冷笑的だった。だが事実、このアルバイトで私は小さな成功体験をたくさんしている。それだけでなく最近はいろいろな場面で、小さな成功体験を重ねることを意識している。簡単なことではなかった。小さな成功体験でさえ、大きな勇気が必要だった。子供の頃、外で「はい」と言うのすら心臓がバクバクして辛かった。その私には、見知らぬ人に話しかけてビラを渡し、無料体験会の説明をするなんて言うのは何ステップも飛び越えた大仕事なのだ。

小さな成功体験に大きな勇気。普通の人は簡単にやってのけることで、私には何十倍もの重圧がかかる。これは大きなハンディキャップだろう。だが私は、これからの人生で「自己実現欲求」の発達段階に至るために、この挑戦を続けていきたい。私はいまだ承認欲求を求める未熟な小人間だ。私は立派な大人になりたい。いずれ自分が子供を持ったとき、子供にとって自慢できる、少なくとも卑下の理由にはならない母でありたいのだ。もちろんこの挑戦を続ける一番の理由は、人生の保持者である自分のためでなければならない。

メンヘラ女の戯言

たわごと、ざれごと、どっちも同じ字を書くんですね。これから書いて、眠れない夜に悶々と考えたことを記録するのです。読むのは時間の無駄かも知れませんよ。

私は眠れない時に延々と独り言をすることがある。今もそれをやっていた。話しているうちに、書き留めておくだけの価値があるのかも知れないと思った。

私は幸せではない。幸せを、幸せであると素直に認識できる人が幸せであり、幸せなのに幸せを受容できずにいる人は全き不幸としか言いようがないと私は思うからだ。私は彼氏がおり、大変愛していると宣言できる。しかしその彼氏を愛している私自身のことを、私は愛しているだろうか?答えは、全く愛していない、となる。むしろ憎悪しているとも言える。私は私にまつわる全てを愛することができない。私が私と不可分であると認めたものに関しては、憎悪の対象となる。例外は、ちゅうというピカチュウのぬいぐるみと、彼氏くらいである(そもそもこれらを不可分であると考えること自体が病的な可能性もある)。反面家族は、不可分と認識しているがために、卑下の対象であり、どうしても愛することはできないでいる。これは私があまりまともではない家族に囲まれていたせいかもしれない。私の家族成員には愛すべき人々が揃っているのだが、それぞれに難点があり……まぁご愛嬌の範囲だと思うが、病的に敏感な私には深い禍根を残す結果となった。残念ながら。

それで、私は眠れない夜に、私はなんと不幸なのか?ということに思いを巡らせた。幸福とか、不幸だとかいうのは本来は神様がお決めになることなので、人間風情が決して良い問題ではない。それは傲慢というのだ。

しかし、私はどうしても、この彼氏にいくら大事にされたとしても自分が幸せであると思えないことの理由を突き止めて、手放しでこの幸せを噛み締め喜ぶことができるようになりたいと思った。だから、まずはこの、大事にしてくれる人間のできた彼氏がいるのに幸せを感じられない不幸な状態を把握する必要があった。

私は少々自己肥大がすぎるようだ。何を考える時も、「自分」基準でものを考える傾向がある。自分だったらどう感じるのだろうか?自分もそういう経験があるだろうか?など、とにかく自分中心の考えが私は多い。

ただ無心に、彼氏のことだけを考えているうちはいい。幸せだ、彼氏が好きだと考えてニヤニヤするまである。しかし、「自分」という存在を隣に置いて比べてみるとたちまち2人は釣り合わないとか、私は劣っているので、一緒になっていいような人間ではない……などという自己否定に走り出し、しまいには「彼氏と出会わなければこんな気持ちにはならなかった」「彼氏の存在を忘れられたらどんなに楽だろう」などと考えてしまう。

つまり、彼氏との関係において「自分」をあまり意識しすぎないほうがいい。さらにいうと生活のあらゆる局面で、できるだけ「自分」というファクターを排除したほうがいいのではないか?ということに気がついたのである。わかりやすくいうと、「自意識過剰」なのである。これを行き過ぎた自己肥大、などと表現しているにすぎない。

みんな私ほど、人生において「私」について考えないだろう。子供なのか哲学者なのかよく分からないが、褒められた特質ではない。

太宰治氏。高野悦子氏。私に影響を与えている文筆家だが、ともに肥大した自己を持て余して、自殺した。このままいくとますます私はどん詰まりに追い詰められ、「ジサツ」のコースへ入ってしまう。それは回避すべきことだ。

ということを、眠れない夜に考えるからますます安眠が遠退く。


自分のキモさにうつ

改めて昨夜に書いた記事を振り返ってみると、あまりにも厨二じみていて気持ち悪いので自己嫌悪に陥っている。だが、敢えて消さないことにした。今回の投稿で免罪符としようと思うからだ。

私はやっぱり結婚を望むべく人間ではないと思う。恥ずかしい人間なので、1人で生きて1人で朽ちるのがお似合いなのだ。下賤な民であるし、中身のない厨二で自分の学問への熱意の低下を御託を並べて擁護し、そんなのでよくあんな優秀な彼氏がいて恥ずかしくないな。

死んでしまえ。

依存の現状

私は依存体質の人で、現在進行形で彼氏にこれでもかと依存している。本心はというと、私は依存などしたくない。高校時代に友達に依存して拒絶された苦い経験が重なって、彼氏が私に少しでも呆れ口調になったり嫌がられたと感じたりすると、その記憶がフラッシュバックする。私は彼氏の時間を拘束している自覚がある。だが、同時に私は自分の時間をダメにし、自分自身の精神も追い込んでしまっている。このままではいけないと思う。

みんなが一般的にいう好きだという気持ちとは少し違っているようだ。好きとかそういう健全な想いではなく、私の彼氏への感情はもっと情念めいたおぞましいもので、筆舌に尽くしがたい。私は同じ心理状態を高校時代に経験した。以前も書いたが、相手の対応の違いだけで救われているようなものだ。私は結局まるで成長がなかったという訳なのだ。

具体的にその心理状態というのは、以下のようである。私は基本的に、彼氏と一緒にいるのが嬉しいはずである。だが同時に苦痛でもある。自分の脳が溶けていくような、ダメになるような感じがする。誰しも恋愛をすると、相手の前では多少なりとも子供帰りするものだ。しかし私の場合は度が過ぎている。普段の自分の精神年齢との振れ幅が大きすぎるのだ。私の中で腑に落ちる表現で例えるならば、「魚は水がないと生きていけない。ある日偶然に入れられた水槽の水は依存性のある毒素を含んでいて、魚はそれ以外の種類の水に入ることがもはや不可能になった。魚は水の入れ替えのために別の水に入れられたが、あの水の中でないとどうも楽しくない。しかしその愛しい水の中に四六時中いられるわけでもない。次にその水に入れられたとき、ますます依存度が高まっていて嬉しそうに泳ぎ回り、次の水の入れ替えを拒否する。しかし飼い主は暴れる魚をむんずと掴むと、無理矢理に毒素のない水に入れた。そのうちに暴れる魚と格闘してまで水を変えるのを億劫になった飼い主は水を入れ替えるのをやめてしまった。汚れていく水とその毒素がじわじわ魚の体を蝕み、ついに魚は死んだ」。この場合、魚は私であり、彼氏とは水(と、水を入れ替える責務を負う飼い主)ということになる。なんてまどろっこしい説明だろう。しかしこの依存状態を例えるとこのような感じである。最後に死ぬのはなぜかというと、このままだと頭がおかしくなって、自死も辞さないような状況になると思うからだ。さらに、飼い主の水の入れ替えを拒否するという要素は、彼氏が私に愛想を尽かすということを予期している。

この魚をかわいそうだと思う人はいるだろう。そしてこの飼い主は、こんな毒素のある水を与えているが、それには罪がない。この水はどうも魚にいいもののようだから……と、良かれと思ってやっている。運命は私たちを引き逢わせ、彼氏は私を大事にしている。しかし魚が暴れると、それが度を過ぎれば、いくら気の長い飼い主だろうがノイローゼになる。

死ぬような成分を含んでいなければ、どの水でも良かったのだ。それなのにこの魚は、あの優しい毒気のある水でないと受け付けないようになった。どの人間が相手でも楽しく時を過ごせるはずなのだ。それなのに私は、この人でないと楽しくないのだ。いや、他の人といても楽しいことは楽しい。刹那的に楽しくても、それが終わったら空虚な気持ちになるのだ。では、彼氏と一緒にいれば満たされるのか?答えは、満たされないのである。

だから四六時中、永遠に彼氏とともにいないと息ができないのである。彼氏がそばにいなかろうと、考えるのはだいたいそのことばかりになるのだ。

こうなると日常生活が覚束なくなる。他の予定を入れまくって、彼氏と過ごせない寂しさを紛らわそうとする。そうすると本来自分がやらなければならない学業が疎かになるのは明らかだ。これ以上修士課程の在籍期間を延ばすわけにいかず、来年度には片付けなければならないというのに。学業への情熱はいま、ほとんど失われてしまっている。彼氏への興味に取って代わられてしまった。私は研究対象と自己探求を重ね合わせてきた。私はなんなのか、という問いと、何々はどうなのか?という問いを並行的に問うていた。だが今は自己などどうでもよく、関心事といえば彼氏に愛されているのか、愛されていたとしたらそれはどのくらい深いのか、どのくらい大きいのか……それだけである。

彼氏は私の聡明なところが好きだと、出逢ったばかりのころは言ってくれていた。今はもう聡明さなど手放してしまって、莫迦な女(この女という言い方が私は嫌いなのだが、露悪的にこのように言っておく)の姿しか晒していない。このような私に失望するのも遠からぬ未来だろうか。いつ愛想を尽かされるのだろう。

私は莫迦だったのだな。そう思っては、失ってしまったフィロソフィアを惜しんでいる。なぜ崇高なはずの知への愛が彼への不安などという下卑たものに取って代わられてしまったのか、失望している。