無能な人間だという自覚
自分が発達障害だと気が付いてから8年が経った。その頃は大学に入学したばかりで、比較的レベルの高い大学だったこともあり、自分はまだ少しは有能だと思っていた。小学生時代の無能っぷり、高校で進学校に行って、友人関係で失敗して鬱になった経験などから、自分は学歴の割に無能だろうとは自覚していたが、それでもまだ望みはあった。
発達障害ではないか、と疑ってからも、確定診断されるために自分も動かなかったし(WAISを受けないといけない、とか知らなかった)、医者にかかってもそんな声をかけてもらうことはなかったので、6年くらい「発達障害かも?」で放置していた。
修士二回生に上がるとき、ようやくWAISを受けることになった。受けようと決断したのは、打算的だが、大学の構成員だったら無料で受けられる保険診療所にかかれる最後の一年だったからだ。WAISも無料で受けることができた。これはバイトもろくにできない無能学生にはありがたい制度だった。
結果、結構ひどい凹凸が浮かび上がってきた。私は「定型のフリ」がうまかったので、出てきたグラフのガタガタっぷりには、各所の主治医が驚いた(地元の富山、名古屋、そして京都)。地元の医師が上手いこと例えてくれたのだが、「言語性はF-1の車くらいの才能があるが、動作性は軽四だね。エンジン機構はF-1車なのに、操作システムが軽四で、持て余している感じだね」という。これには笑ってしまった。
それでも修士論文を書き上げるまでは、持ち前の比較的高い言語性IQを駆使して、どうにかまだ「我有能也」という勘違いを続けられた。口頭試問でも「筆力の高さ」に言及されて有頂天だった。しかし修了と同時にTちゃんと結婚するので仙台に居を移してから、私は「タダの無能人間」であるという現実を突きつけられた。
大学院時代までは、「K大生」だということで一目置いてもらえた。精神障害のせいで修了が遅れ、出る頃には20代も半ばになっていたが、それでもやはり京都という学都である。大学院生という身分に対して一定の敬意があったし、私は若く見えたので最後まで学部生と勘違いされ続けた(24の時に一回生?と訊かれ、事実を告げると驚かれるなどした)。だから実家の祖母の台詞「勉強だけできてもねぇ(笑)」とか言われなくて済んだ。しかし仙台に来ると、私はただの「無能主婦」に成り下がった。学歴を知られても、「不思議ちゃん」キャラにされるだけだ。そして必ず職業を聞かれて、自分が専業であることを打ち明けると、「もったいない」と言われる。高学歴=有能と考える周囲の短絡的思い込みにさらされ続けてうんざりしている。私は無能なんだと声を大にして言いたい。学歴をクローズにしていても、話し方ですぐに「頭良さそう。学歴は?」などと興味本位で聞いて来るやつらばっかり。京都から来たという情報を開示していれば必ず「京大でしょ」と誘導尋問される。「でも大学は名古屋なんです(思ったより大したことないですアピールのつもりだったが)」と言っても、とある事件のせいで仙台で「名古屋大学」は有名になっており、「われらがトンペーと同じくらいの有能大学」と分かられてしまうのだ。
どうやら定型の、しかし学歴は高くなく、「人並みに苦労して来た」と自負している人には私のようなのは煙たがられる傾向にあるらしかった。すごい辛酸を舐めて生きてきたのに、苦労をしていないように見えるらしい。しかも比較的若い世代では珍しいだろう「社会人経験なしで専業主婦。夫は優しい」「大学院まで行かせてもらっている」「親にまだ頼れる」とか、客観的に見たらただの恵まれたお嬢ちゃんである。有能を期待することで、彼らは私をある種ルサンチマンのはけ口にしているように感じてしまう。
だから私は、早く大学院に戻りたい。
障害者手帳の話です。
久々の投稿。
今年の4月(正確には少しフライングしていたが……)私はみちのくに引っ越した。引っ越してから2ヶ月が経っているが、私はまだ杜の都に慣れることができず、引っ越し憂鬱の状態が続いている。思えば名古屋でも京都でも、慣れるのに一年はかかったので、仙台(ここにきて伏せるのをやめる)もそんなもんだろう。ただし、学生を終えたいま、仙台での暮らしはより困りごとが多い。学生を終えると、友人を作ることが困難になる。大人というのは悲しいもので、新しく気のおけない友人を作る機会がガクッと減るのだ。モラトリアムを割とながく延長してきた私は、齢26にして初めてそのことがわかった(あぁ、年齢バレましたね)。
今思うと名古屋、京都と、仲のいい友人が定着したころにようやく慣れが生じたので、仙台でなかなか慣れないのは当然である。いま私は友達がゼロと言っても過言ではない状態にある。「おひとりさま」は昔よくやっていたが、Tちゃん(婚約者)と出会ってから一人で行動する機会がめっきり減って、人間としての自立レベルが大幅に下がってしまった。
私は大人になるってのは、一人でも平気だということであると思っている。つまり私はいま幼児退行した状態にあり、また「一人でも平気」な私を取り戻す必要があるということだ。
なぜTちゃん依存が強まるかというと、この地域で私が頼れるのが彼だけだからだ……仙台に来てから人間としてのレベルが大きく低下しているように感じており、ライフハックの必要性を強く感じる。
ライフハックとは何か?うぃきぺぢあを見ると、「自身の生活や仕事のスタイルにおいて「気の利いた手段で、もっと快適に、もっと楽して、もっと効率良く」という方法を得ようとしていくこと」だそうである。私はいまとにかく生きることに必死すぎて、なにも体系だった生活を送れず、無駄な行動をしては疲労を蓄積させている。もう四半世紀も生きたのだから、要領よくいきたいものだ。
ライフハックのためにカーブスというジムに入会したり(健康のためよ)、家事で疲弊するポンコツなので「おいしっくす」なるものを頼もうか検討したりしている。しかしこれら、お金がけっこうかかる。昔やった「進研ゼミ」と同じで、「豚に真珠」にならないか。豚に真珠ではなくて貴婦人に真珠であれば、カーブスだとかオイシックスだとかも浮かばれるのだが……。ジムは頑張って行っている。お陰で1ヶ月で少し力こぶがわかるようになった。
ライフハックついでに、最近わかったことは、私は向学心が旺盛なので、勉強を毎日頑張れば精神が安定するということだ。学生時代が終わればそんなことはないだろうと思っていたが、相変わらずの傾向のようだ。私はいま心理学の勉強を進めている。
人間は生きる意味を模索するようになってからダメになったのではないか。
口頭試問後の所感
私は口頭試問を終えて来ました。口頭試問を経て、解放されて楽になるかと思ったら余計に苦しい状態に立たされたような気がします。
私の修論は先生方の間で高い評価を受けました。天下のナントカ大と呼ばれる大学のうちの1つの大学院の教官が、そのような評価を一学生の論文に下すということは、どうでもいいからはやく出て行けと思われているのか、本当にその論文が評価されたかもちらかだと思う。どちらだと思うことも怖い。
仮に私の論文が本当によいものと評価されて褒められたのであれば、私はひどい空虚感に襲われることになる。なぜなら、私は修士の3年間をただの消化試合のように過ごしたという自覚がある。研究は精神病をどうにかすることの次の課題であり、二の次にして来た。それでも真面目だから執拗に頑張っていた側面もあり、それで精神を余計悪くした感がある。ドクターに進学しないと決めたのは、決定的な精神薄弱が私の研究者としての前途を必ずや阻むだろうと確信したからであった。
私はたしかにこの修士論文を書いて、1つの「作品」を完成させた。先生も完成度の高い論文だとか、高い水準のものだと言ってくれている。大部なものだが誤記も少なく読みやすいそうだ。私は誤記だらけだと鬱っぽくなっていたが。私は、論文がどうしようもないゴミ論だと信じて疑わなかったが。
口頭試問で、私の見ている「私」の像は完全なる虚像で、認知が歪みきっていることを再認識させられた。自身を正しく評価してやれないことが、いままでに私の人生をどれだけ損なものにして来たのかを思い知った。それで私は、「褒められた!やった!」とか、「ついに解放されたぜ」という思いを抱けずに、また落ち込む羽目に陥っている。
ここまできたらもはや、落ち込むのが趣味のようなものだ。母にはよく言われている。「お前は落ち込むのの、不安になるのの材料をいつも探してくる。それは趣味のよう」だと。私はこの癖をやめたい。ASDの傾向が生まれつき不安障害を持つ状況を生んでおり、もはや悩みなき自分など自分とは言えないという感がある。
引っ越したら障害者手帳を取得するかどうか、真剣に考えるつもりだ。
大学院生って……
大学院生という身分で3年間いさせてもらった。院試の準備のために研究生をしていた1年も含めると、あしかけ4年のロスタイムであった。大学時代まで私の周りには同じように学生を22.3歳までやる者がほとんどで、地元の友人にも、公立ではあったが思いのほか一定レベル以上の大学進学者が多く、帰省しても話が合った。とくに、中学時代からずっと仲良くしている3人組で集まると、そのうち一人は高卒で就職しているが、それでも「私たちはあのとき(箸が転がっても笑った中3のころ)から何も変わらない」と思え安心できたのだった。
しかし2人目が大卒で就職したら、私は社会に出られずに大学院にモラトリアム的に逃げ込んで、研究に邁進することもできない自分に嫌気がさすようになった。最初のうちはまだやる気があったし、「私は私でずっと人生の労苦を味わっているのだから、彼女たちが働いているのに私は学生で楽しているなどと思わなくてもいい。院生なりの苦労があるし、私はそうでなくても精神を患って苦労しているのだから」と言い聞かせることができていた。
だが、就職3年目で異動があった県庁に就職した真面目な友人が職場での不適応で悩まされる様子を目の当たりにして、私は不条理を感じていた。私と同じように彼女は苦悩しているが、その内実は全く違うのだ。私は学生である限り、どんなに苦しもうとも社会的責任からは遠ざかることができる。しかし彼女は違う。どんなに苦しくても、「辞めます」と言わない限り労苦は続いて行くのだ。しかも、私のように自分の人生のための悩みだけでなく、職場でどうやっていくか?そういう、人生と直接関係のない悩みで心身が蝕まれるのだ。
もちろん、職場のことに苦悩した結果人生の果実がもたらされることはあるだろう。ノウハウを身につけて、みんなに慕われて、そうやって年齢を重ねた頃に「これでよかったんだわ」と思える日がきたとしたら、それは彼女の勝利だ。しかし悩んでいる渦中では、自分の職場について悩みがいかに有限の人生を浪費しているのかに思い当たるのではないか。
それに比べて、学生である私はどんなに苦悩しようとも、「私の人生のための苦しみである」という自覚を持ちながら喘ぐことになる。どんなにかそれが苦痛を伴うものであれ、人生における光を探しているという確信がある。
これは大きな差異ではないか。このように思ったとき、私は自分がもういい歳なのに社会的責任を放棄して自分の人生を乗りこなすことだけに集中して、大変甘えていると自己嫌悪に陥った。すでに働いている昔からの友人たちに、申し訳ないという感情が沸き起こった。彼女らはそれでも優しいので、「院生さんには院生さんのつらさがあるでしょ?」と労ってくれる。そんな友人がいて私は幸せ者だ。
私はまだ口頭試問を終えていないが、試問で先生に暴言を吐くとか、ふざけた態度をとるとか、そういう突飛なことをしない限りはまず修了できるだろう。修士論文は合格ラインには達したと思うし、こないだ話した先生の口ぶりではまぁ、私を修了させる気でいるようだった。そして修了したら私は、いままでの「何かに追われる生活、これこれのテスト、このこれの課題をクリアしなければならない」という、6歳の時から直面し続けた相次ぐ落伍恐怖から解放される。それは私にとって不安でもある。これまで、落ちこぼれを恐怖する気持ちで私のほとんどは成り立っていた。だから、それがなくなったとき、私は空っぽの人間になるだろう。
私はほぼ専業主婦になると思う。Tちゃんは私をよもやまともに働ける人員としてみなしていないだろう。それなのに私と結婚することを欲した。それでも私は有益な人間になりたいと思う。落伍恐怖がなくなったとき、私はどうやって自分を立て直すのだろう?
現在のもっぱらの不安は眼前に迫った口頭試問であるが、それが終わったらさらに難しい悩みが、私を待ち受けているということだ。
日本人は生きづらい人種か?
今日、とあるイベントに参加してきた(久々の更新)。東京新聞の記者望月衣塑子(いそこ)さんと、エセックス大学の研究者である藤田早苗さんによる、報道の自由を規制しつつある政府についての危機感を共有するための集会である。
私はもともとあまり政治に興味はない方でノンポリだった。この国ではノンポリはある意味、特権階級の印である(ここでいう特権階級というのは、高い教育を受けた層のこと)。政治を真剣にやろうというエリートは日本には少ない。日本では政治家は、「使えないボンボン/お嬢さん世襲議員」か、「自己顕示欲が強いバカ」のなるものだと思われているきらいがある。だれかが政治談義など始めようものなら、周囲の者は「そんな高尚な話は」とか、政治観の違いにより喧嘩することを恐れるのが関の山である。
政治をどうにかしようと声高に叫ばなければならないのは、社会の下層で苦しんでいる人たちだ。そういう人たちは基本的に高い教育を受けるのが難しく、学歴を見ては「大したことない奴が政治やってる」と言う学歴厨がいる。はたまた東大出や早稲田出が政治をやると、「賢いくせにバカ」と罵ってみせる。私はルーピーはとやまさんを思い出す。彼の時代、日本の報道自由は一番高かったそうだ(国連のランキング12位。なんと今は、72位。韓国より低い)。鳩山時代はいわば、言論の春の時代といってもよかったのである。あんなに、ルーピーだとか宇宙人とか言われたのに。
私たちは、じわりじわりと自由が規制されてきている状況をなんとなく肌で感じていても(就職しにくい、なんとなく生きづらい)、諸悪の根源がどこに渦巻いているのか知らないままだ。中国、韓国、北朝鮮、ロシアなどをスケープゴートにしては「ネトウヨ」が喚き散らす。「周りにゴロツキ国家ばかりある。その中で日本は掃き溜めのツルのごとくだ」と考えるのが紋切り型であろう。周りにゴロツキ国家ばかりであることが、日本を相対的に「美しい国」に見せている。
よく考えて見てほしい。日本より国民が幸せそうにしている国を、知っている限り挙げてみてほしい。それは、よく海外を知らずにイメージだけで話しているのだと言われる場合もあるだろう。実際そういう場合もあるだろう。しかし、目をつぶらないで欲しい。自分たちが生きる日本という国は、本当に幸福だろうか?生きやすいだろうか?
蔓延する神経症、自殺する若手会社員、女性が専業主婦をしているのが一番幸せだと言ってはばからない現状。確かに専業主婦がいちばんいい。今の日本社会では少なくとも、外に出て「男並み」に働かされるのを避ける、すなわち専業主婦となることがいちばん「マシ」なのだ。国連の基準では、そうではない。女性は自分らしく働く自由がある。だから国連基準では、専業主婦に甘んじる日本の女性たちは「自由を迫害されている」と思われてしまう。しかし社会状況に照らせばそうではない。彼女らは、「専業主婦となる自由」を積極的に行使したがっている。しかも高レベルとされる大学にそういう女子が意外なほどに多い。学生終盤になって彼女らは、日本社会の、日本政治の欺瞞に意識下で気がついている。
私はこれまでの2x年間よく勉強した。次は自己効力感を身につけて、社会に学んだことをアウトプットしたい。どういう形になるか分からないが、修士論文を終えたあと、私の真の「人生の夏休み」をここから始めようと思う。
なお口頭試問w