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最近あったニュースについて

「女性は子供2人以上産むこと大切」全校集会で中学校長 大阪市教委が処分検討


産経新聞見出しより。
ふむ。私は性別不明と言っておきながら、一応は女性だ(女性としての自己認識に欠けているので、性別不明としている。発達障害者の自己アイデンティティの問題についてもいずれは書いてみたい)。一生物学的女性として、このニュースには無関心でいられなかった。
Yahoo!ニュースのコメント欄には、「産めなくても産めない女性だっている」「日本の現状では安心して子育てできない」「不妊治療にもお金がかかる」などという意見が交わされている。
私は自分自身の精神年齢が幼いこともあって(文面では到底分からないと思う)、子供への接し方が分からなかったので、正直子供はどちらかと言うと苦手だったし、産んで育てられないだろうと思っていた。それ以前に、女性としての自認に欠けていて、男性と結婚することも難しいだろう。発達障害が遺伝するかも知れないことを考えるにつけても、やはり私には子供は無理ではないかなぁ、と少し思う。
そんな調子なので、私もこのように子供を産むのが女性にとって一番大切、とか、ひどい場合だと子供を産まない(産めない)女性は生物として失格、などと言う無神経な言葉には胸を痛めるし、憤りも覚える。人にはそれぞれいろんな事情があるのだ。産みたいと思っても産めない人がいるのだ。
女というのは、いつの時代でも「女」という呪縛から解放されることはない。なお「男」という呪縛、これももちろんあるのだろうけれど、私は男ではないからこれはわからない(まぁ、男性の方が定職がないととやかく言われたり、甲斐性を求められるのは知っている。このあたりはジェンダーについて、みたいな感じでいずれ書きたいですね)。
女性がいないと、子供は絶対に生まれない。このことが非常に重要な意味を持つのは分かるが、女性は、「人間」である前に、なぜ「女」でなければいけないのか。男性は、「人間」である前に「男」でなければならないわけではない。ヒトはもともとmanなのだ。男である時点で、即座に人間なのである。
女性不妊が増えていることも、なぜなのか考えないといけない。結婚できない若者が多いのがなぜなのか、考えないといけない。
女性だけに、少子化の原因を押し付けるのは言語道断なことなのだ。もちろん、頭では男性の責任があると分かっているのだろうが、今回の校長先生の発言からは、どうしても「女が頑張ればなんとかなるんだからどうにかしろ」というニュアンスを感じ取ってしまう。
ストレス社会。高学歴化。無理に男女平等にしようとする。これら全てが、女性不妊の原因になっているのだ。
無理な男女平等、これがそもそもいけない。本来の生物の雌、あるいは人間の女性の自然条件下における役割を思い返すと、文字通り「生み育てる」ことだった。それが女性という性には、最も適合的であったのだ。近代以前に女性を軽んじるようになったり、近代以降に女性を男女平等として無理に引っ張りだすようになった。我々現代人は、女性性の本来あるべき姿を歪めてきた。
私は、女性が家庭に入って家事をやっていればいい、とは言っていない。キャリアを邁進したい女性は進めばいい。男性が外に出て働かないといけないとも言っていない。
男性も女性も、ひとりの人間として自分に適した生き方を選択できるような社会にならなければ、日本は少子化に歯止めがかからないだろう。もちろん、他にも取り組むべき課題はごまんとあるのだろうが。