memento mori

メメントモリ。みな必ず死ぬ。死が最後に待つのを忘れるな。

この言葉を最初に知ったのは、いつだったろう。国語の教科書だ。たぶん、小学校高学年の時。

大好きだった先輩が急逝した。

どうして神様は、いい人を連れていくのだろうか。私はまさか、あの笑顔の眩しい彼があちらに連れて行かれるのがこんなに早いとは思わなかった。それはみんな同じだった。歌が好きなことを全身に表現するように歌う人だった。どんなにどん底に沈んでも、励ましてくれる人だった。人を悪く言わず、誰かの悪口には決して助長せず、「でも彼にはいいところもある」というふうな発言のできる、素敵なお兄さんだった。

事故だったとさ。

なんで彼なんだろうね。私は代わりに死ねたらよかった。

彼氏は私がいなくなると悲しみに暮れると思う。私はそれだけが嫌だ。それだけのために、まだ生きていようと思う。

両親はきらいだ。少なくとも好きではない。客観的にはいい両親だ。だが、主観的に見たら、彼らは私の半分と半分だ。のろわしい。とてもグロテスクだ。私のような鬼子を産んだのだから、とうてい好きだと思えない。ごめんなさい、親不孝だ。

ねぇ、ひろしゃん。これは私の先輩の名前だ。

あなたは今、川を渡っているだろうか。心細いだろうか。いつも笑っていたあなたは、ひとりでも笑うだろうか。私の、あなたへのメッセージを誰か聖霊が届けてくれはしないだろうか。

代わりになりたかった。だけど、これはもう決してしまったから、なれないね。ありがとう、ひろしゃんはたくさん思い出をくれました。たくさんの思い出の1ページ、1ページ。こんなことなら、ひろしゃんとの思い出用に、特別なアルバムを用意しておくんでした。

人生は後悔ばっかりあります。

ひろしゃんの人生は、25年で終わってしまって、すごく尻切れとんぼみたいな感じがするかもしれません。すごく悔しくて、納得できないですね。お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん。ご家族が、いちばんやり切れないだろうね。ひろしゃんは末弟だったんだね。かわいい弟だったのだね。でも私にはお兄ちゃんのようでした。ずっと、お兄ちゃんのような人でいて欲しかった。住む場所が変わっても、たまに会いたかった。

私も、ほかのお友達もみんなやり切れないよ。

人生は後悔ばっかりあります。その中でも、こうやって途中でプッツリと切られた人生の糸は、悔しいことこの上ないです。

私は、ひろしゃんには重大な役割が与えられていたんだと思います。それは、みんなより先にそっちに渡ることです。人間は死ぬのが怖いから。だから、ひろしゃんのような優しい、笑顔の印象的な人が、そっちに先に渡って、向こうから渡ってくる人に、「おーい、こっちだよ、がんばれっ」と手を振る。そういう役割を、ひろしゃんはこれから負うんだと思うのです。

ひろしゃんは25年で歴史が止まりました。

私は何年で止まるんだろう。人生を刻む時計が止まったら、私もそっちに絶対行く。天国に行けるように、真っ当な人生を送るよ。すごく不器用で下手な人生だろうけど、懸命に生きるよ。

そしたら、私はひろしゃんのお家を探して、遊びに行くよ。これは一方的に約束します。いやだったら、居留守を使ってね。

痛かったかな、怖かったかな。もう大丈夫だから、ゆっくり休んで、天国の合唱団に入って、みんなを待っていてください。

ありがとうひろしゃん。ずっと憶えています。