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発表前夜なのに眠れなくて困る。

久々に悩みすぎて発熱という現象に見舞われた。そんなに悩まなくても明日は逃げも隠れもしないし、大切な人が予告なしに去っていくわけでもなかろうに……私は本当にくよくよマンである。

読んでくれている人に聞きたいんだけど、自分の価値、って考えることありますか?私はいっっっっつも考えています。そして、必ず異常なくらい自らの価値を低く査定してしまいます。頭では、私の認知がひどく歪んでいるのだと分っていますので、「本当はそんなに低くないよ、大丈夫」と言い聞かせる善良なる私の声のお陰で首の皮一枚でどうにか生命を保っているような状態です。

自分のやることなすことに意味を感じられません。こんな人間は本当の意味で研究をできません。人生をやめたくなってしまいます。あと11時間後に訪れる発表も泣き出すんじゃないかと思ってしまいます。そうなると例会の会場はお通夜になり、出禁になって、私は引きこもりになってしまう……


って、私暗っ。


こんななので、彼氏の前でも異常に自分の価値を低く見積もり、それに比べてこの人はなんて尊くて素晴らしいのだろうと思ってしまいます。彼の背後にある何もかもに恐怖を抱いてしまいます。いざそういう時になったら、私は彼の両親に気に入られないのではないか。なんて低いレベルの女を(能力的にも経済的にも血筋的にも: 発達障害、神経薄弱)連れてきたんだこの子は、って思われるんじゃなかろうか。など、ありえないはずのことを強迫的に考えてしまいます。

こういうことで、3日に一度くらいずっしりと気持ちが重くなる。鉛の塊を体の芯に埋め込まれたような心地になる。

裏を返せば、私がそれだけ相手を失いたくないということでしょう。面倒臭いです。私が断続的に患う心気症という心身症も、「生きたい」という気持ちの現れなのですからね。どうして素直にそう表現出来ないのだろう。

「あなたを失いたくないくらいに愛しているのだ」(あーあ、本人の目に触れないことを祈る)とか、「私は元気に生きていきたいのだ」と表現すればいいのに、どうしてその裏面ばかり表出させてしまうんだろう。

私は実家の祖母への恨みつらみを吐露することがある。でもそれだけではない。最近、小学生のときの担任の先生が揃いも揃って悪鬼(とくに高学年のときの担任)のような人格だったということを思い知った。つらかった。生きるのがつらかった。今も苦しい。すぐに命を断ち切りたい衝動に時折駆られる。ダメだって知っている。突然命の糸を切られた人を幾人か見てきたから。

祖母はいつも私を低めます。幼い頃に「何も出来ない子」だった私を継続させようとします。私はその状態から脱皮したくて必死なのに、いつまでもその段階に止めようという圧力を感じます。本人は私の成長を願っているのですから、始末は悪いです。結果、抑圧に向かっているのだから。

小学生時代の担任は、児童を叱る時に「いかに相手の心を抉るか」というのを理念としているような人でした。これはいじめっ子です。叱る叱らないの次元に遠く及びません。

私はなにも悪さをしないのに、ADHD傾向で忘れ物が多かった。国語の教科書を忘れて、隣のAさんが見せてくれた。

「Aさん、見せなくていいんですよ。こんな教科書を忘れてきた馬鹿な奴に」

先生はそう言い放ったのでした。私は自分が馬鹿だと思いました。消えたくなりました。

私は遠足の山登りが本当に怖かった。よく出来た友達Nちゃんが、私が登るのを励まして、忍耐強く待ってくれた。彼女と私は集団に遅れをとった。

「Nさん、ありがとう。面倒を見てくれて」

私には、「また人に迷惑をかけた!」

……そうですか、私は山で死ねばよかったんですね。と思いました。

思い出しただけで、自分の不遇ぶりを思うだけで、今でも涙が出てきそうになる。


田舎はひどい。

いや、私はとりわけ運が悪いのだけれど。田舎だからといって幸せな人はいるはずなのだけど。

でも、やっぱり田舎は闇だよ。人を歪めて、死に至らせるポテンシャルを秘めている。


暗っ。