不安すぎてオワットル

眠れません。まぁ、昼夜逆転してるから仕方ないんですけどね。

私がこのブログを始めた時、非公開にしていました。公開に当たって非公開にした記事もいくつかあります。プライバシーに触れる可能性があるようなものをそのようにしたのです。なんで非公開ブログかというと、大抵非公開にする人はそうなんでしょうけど、日記のつもりでした。あまりに鬱々とすることが多いので、ツイッターに呟くだけでは飽き足らず……というか、リアルの友人たちやその他大事な人たちに(あいつ大丈夫かよ)とか、(うわぁ、気が滅入るから死にたいとかそういうこと書くなよ)と思われるかと思ったので、あまりにどす黒い感情は非公開にしないといけない、でも書いて気持ちを整理したい……こうです。

でも公開してしまっているので、ここだって気持ちを吐き出せる場所ではなくなってきた……のだろうか。まぁそんなに見ている人はいないと思うので、いまからそのどす黒い感情をぶちまける。


さっきベッドの中で眠れなさすぎてのそのそ起きだした。時計を見たらまだ2時をすぎたところである(もう、と表現すべきところだったかもしれない)。実際のところ私の意識はぼんやりとしてきていた。だがそのぼんやりの中に、確かに苦しいとか、絶望とか、死にたいとか、そういう負の感情が渦巻いているので、どうも眠れなかった。

なんでこう、非道いんだろうか……私はほんの数時間前、幸せだったはずなのに。私は幸せを受け付けないのかも知れない。そうだ、最近ご飯もあまり食べなくなった。食べたいという気待ちがあまりない。眠れないし、彼氏がいても幸せに真の意味で浴すことができていないようだ。私は第一次欲求のレベルで幸せになりたくないのだ。これは由々しきことである。

幸せを拒むことは緩やかな自殺に他ならない。当たり前だ、幸せになるために生きるのが本来の人間の姿なのだから、幸せを放棄することは死に積極的に向かうことだ。

私は今まで生きてきた人生の薄っぺらさと膨大な時間の厚み(地球の刻んできた時からしたらほんの一瞬にすぎないのに)に絶望して寝付けなかった。大学一、二年生の時に特に仲良くしていた他大学の友達を思い出した。週に一度か二度、寝ぼけながら利用したゴミ捨て場を思い出した。あれがもう6年前だというのか。信じられないことだ。小学生が卒業してしまう。これだってもっと大人からしたら(たいした時間経ってないじゃん)と思われるのだろうが……しかし薄っぺらい人生を送ってきた私には、はなはだしいwaste of time時間浪費に感じる。

基本的にずっと鬱の渦の中にいた。表面上元気そうにしていても、苦しくてもがいていた。なんで生まれたんだ、とずっと思っていた……でも死ぬのは人一倍怖がった。

ときどき、たとえばいじめられて自殺したとか、受験に失敗して自殺したとか聞く。あれすら羨ましい。苦しみに明確な理由が求められる彼らに、私は浅はかな羨望の眼差しを向けてしまう。私はなんで、こんなに生きるのが辛いんだろう。生まれてきたくなかった、失敗だったと思うんだろう。

私はひどい凹凸を抱えて生きている。凸の部分で一目置かれるが、それはまやかしの姿だ。凹のほうが、うだつの上がらないゴミクズのほうが真の私だ。あなたは騙されている、と叫びたい衝動に駆られてしまう。

尾崎豊は私が生まれた年に死んだ。だから私は彼を知らないが、彼は生前、心理学者か誰だったか忘れたが、ある人に「あなたはその考え方をずっと続けていたら、いずれ死ななければならなくなる」と示唆されたそうだ。つまり彼の自殺にもにた不慮の死は予見されていた。私は、自分にしょっちゅうそれを思う。私は、このままではいずれ自死しなければいけなくなるのではないだろうか。ヒヤリとする。その度に、もう一度地に足をつけないといけないと思い直す。

地に足がつかない感覚、といえば、私は大学一年生の秋にそれを味わった。急性のうつ病とはあんなものらしい。あのとき私は、ふらっと車道を走る車に体を投げ出しそうになった。それはほとんど反射的だった。自殺するとき、人はそういうものなのかなと思っている。まともな神経をしていない……本気で後悔する前に、何段階も前にちゃんと考え直さないといけないんだと肝に命じて生きている。