睡眠障害のはなし

不眠症ではないけど、入眠障害なんですよね。普通にぐったり疲れていても、なんだか強迫的に「起きていないといけないような気がする」ので眠れなくなります。ひどい場合、頭やお腹が痛くなって「頼むから寝てくれ」と体が赤信号を出してきて死んだように眠るまで、極限まで眠れないんですよね。

なんで眠れないかと言うと、精神性のプロである人(宗教家とか精神科医とか)のうち一定数の人はこう答えるようです。「眠れない?それは、あなたが正しい生き方をできていないからですよ」と。私はこれをいわれたとき、最初複雑な気持ちでした。こんなに馬鹿正直に生きてきて、私は間違っていると言うのか?と悲しくなりました。ですが、あぁそうじゃないんだな、と最近、ようやく頭で理解するようになりました。

人にはそれぞれ、その人に与えられた適当な生き方があるようです。例えば、なんの仕事をするかということ。どういう心持ちで日々を送るかということ。どういう死生観を持つかということ。様々なレベルで、私たちは自分に合った生き方を見つけて行くようにできています。きっと万人に適合する生き方はありません。あるとしたら、「自分を含めて、人を傷つけずに生きなければならない」ということくらいです。

私は認知がゆがみきって目が曇っているので、「自分が生きていることそのものが人にとって嫌なことで、傷つけるかもしれない」と思ってしまっています。だからダメなんですね、この時点で、あるべき生き方ではないんです。自分を適切に愛せていないので、間違って生きているんです。

不幸にもこういう根本的なこともできずにいると、他のすべてのレベルで「生き方」の選択を誤ってしまいます。「私はこういう人だから、こうありたい」というのは、正常な自己肯定感を持つ人間のみに可能な考え方です。私を含めた自己肯定感がない人間は、「私はダメだから、ゴミだから、このように生きなければ価値はないんだ」と考えてしまいます。

私は現に、私は学問を続けなければならないと思っていました。それこそが私が息をしていても許される安息の地だと信じていました。それしか知りませんでした。

でも、それは私に与えられた道ではありませんでした。進めば進むほど、八方塞がりな感じがしました。私に能力が足りないのかもしれないと思い、だんだん死にたい気がしてきました。あぁ、私は唯一の安息の地だと思っていた場所に見放された、と(実際は自分から遠ざかっていったのです。ある種の人間的本能が、この場所は違うと感じていたに違いありません)。

私はいまだにすっきりと眠りに入ることができないでいる(ブログを書いているので今夜は自業自得であります)ので、まだ私にとっての正しい生き方をできていないのでしょう。それは、時機がきたらできるようになると思います。身をまかせる必要があります。

私はなにが、私にとっての正しい生き方なのかをすでに見つけています。あとはできるようになるだけです。自分の皮を剥くというか、生まれ変わればいいのです。ルネッサンスするのです。

私は本当に神を信じます。神様がたしかに導いています。私は受洗すると決めたときから、すべてが動き始め、神様は私に神様が与えてくださった私の本来の人生を見つけるヒントをくださいました。これはほとんど答えと言ってもよいヒントでした。

私の心は貧しかった。いみじくもこう言ったものだ。心の貧しき者はまことに幸いである。