読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

罪人ですよ

私は、疲れた。この悪い癖は自分でもよーく分かっているし、本当に治したいと思っている。人からも指摘される。しかも私を大事にしてくれる人ほどそのように云うので、尚身につまされる。

なんだか人といろんな約束を取り付けてしまって、グロッキーになるやつ。バイタリティがある人じゃないのに、なんだか人から必要とされた気がしたらすぐに飛びつこうとする性格。自尊心が低すぎるからこういうことになる。貪欲すぎる承認欲求がある。でも承認されなければならないのは他人からではない。私は自分からの承認が欲しいんだ。

一度「はい、やりましょう」と言ったことは、社会的責任として最後までやり遂げないといけないと思っている。その代わり、自分の領分がどんどん疎かになっていく。それは分かっているのに、また失敗したのだ。人間関係を断捨離しろ、と言われる。私もそう思う。

すべてうまくいかないことの根本原因は分かっている……自尊心の異常な低さのためだ。どうしてこんなに自分がないんだろう。自分があるようでいて、どこにも掴み所がない。私は空洞化しているような気がする。誰かに認められたら治るものじゃなかった。自分を認められない限り、治りそうにない。

昨年の今頃、私は真剣に幸せについて考えていた。「幸せは誰かに与えられるものではなく、自分で掴みにいくものだ」という結論に達した。それは本当のことだ。据え膳食わぬは男の恥、とは云うが、それと似ている(?)。幸せという名の据え膳が目の前にあっても、それに飛び込むかどうかを決するのは自分で、最後はそういう決断をしなければならない。幸せになるには勇気が要ると思っている。幸せになる代わりに、捨てなければいけないものがある。不可欠なものもある。

不可欠なものは得る努力をしないといけない。不要なものは棄てる努力をしなければならない。あぁ、私は「ねばならない」思考が本当に多い。高校のときお世話になった養護教諭の先生にしょっちゅう指摘されていたが、いま文章にしてみたら、ほんとうに「ねばならない」が多いことに気がつく。

自尊心が低いと「ねばならない」が多いと思う。極論を言うと、私はそのことをしないと生きていてはいけないと思っている。たとえば、私は「こういう人間」でなければ、彼氏とともにいる資格がないと思う。そうなるまで会いたくないと本心では思っているときがある。だからたまに、私が修論を出すまで会わない、と宣告したくなる……現実的には無理だ、唯一の人生の希望と一年近く会えないというのは、私の身がもたない。

どしてどーして僕たちは、出会ってしまったのだろう♪と歌いたくなるではないか……。

いやほんとうに歌いたくなる。

私は生まれ変わりたいといつも思う。忙しくてパンクしかけるたびに、たくさん積み上げためんどくさいしがらみを棄てて、生まれ変わりたいと考える。自尊心が低すぎるから、私の心は空虚で、誰かの役に立てるのではないかと思うとすぐにその話に乗る……こうしてまた首が締まる……なんて阿呆なんだろう。学習能力が非常に低いというべきだろう。

断捨離したい。小さくなりたい。

謝ってしまう……さっきから何回もごめんなさいと呟いている。私の一番大事な人にこんなんでごめんなさいと呟いては泣いている(彼は聞いちゃいないのに何度も)。

でもこれは謝るような類の問題ではない。謝っても何も変わらない。自分が断捨離の工夫と努力をしないと変わらないのだ。それもよく分かっているだけに、現状できていない自分がものすごく歯がゆい。

私は、人にとって一番大事なことがよく分かっている。自己愛を持てない人の人生はどこにいっても地獄だ。