読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

激しい自己嫌悪のめんどくさい話

さっきまた自己嫌悪がやばいことになった。最近疲れているようなので、早すぎだが、これを書いてから寝ることにする(21時くらいに起きてそのあと眠れない可能性が濃厚だが)。

私は小さな頃から「痒み」がひどい人だった。痒いときに掻いたら、それはそれは気持ちが良かった。快楽、といえば性的快楽が代表的なので語弊があるが、痒いときに掻くことができるのもまた、1つの至上の快楽だと思う。私は彼氏に掻くことを禁止されているが、一向に掻くのをやめられないでいる。それでけっこう叱られている。せっかくの肌が汚くなるのがいやだということらしい。彼にとってはそりゃあ嫌だろう。隣にいる女の肌がボロボロだったら男の沽券に関わる。それが好きな相手ならなおさら、愛ゆえに(たぶん)綺麗な姿でいてほしいと思うだろう。肌が汚いからといって好きじゃなくなるというほどに軽い愛ではないだろうと私は信じているが、中にはひどい男もいるだろうから、「彼女の肌が汚いから別れたい」という調子のも巷にはあるのだろう。

だが私は掻くことをやめない……ので叱られる。

私の父親も痒い人で、お尻がボロボロだった。掻いていても、血を出さない限り止められることはなかった。だが彼の妹さんはちゃんと教育されたらしい。「妹は我慢しているのだからあなたもできるはずだ」と言われても。子供の頃に教育された人と、この歳まで掻き続けて掻くことの快楽を覚えてしまった人を較べないでいただきたい。

あぁ私はやはり育ちが悪いのだと思わずにはおれないし、妹さんと較べられて、私は醜い嫉妬を燃やしてしまう。ただでさえ、私は兄がずっと欲しかったのだ。私は妹という存在に幻想を持ちすぎだと思う。それでも、生まれたときから兄がいるというのは(しかもそれが優しいお兄ちゃんだったら)、どれだけ幸福だろうと思う。兄は、他人ではない。だが彼氏や旦那は他人で、別れる可能性がある。別れたら赤の他人だ。その点兄は、どんなに仲が悪くて顔を合わせることがなかろうと、血が繋がっているのだ。厳然と血で繋がっているから、どんなに離れたとしても分かち難いものがある。

高校生の頃から好きな男性がいても、まだ自身の女性としての性成熟が追いつかないので、私は意中の人を「お兄ちゃん」と言うようにしていた。「お兄ちゃん」と呼ぶことで、私はこの人とは異性関係にはなれないけど(好きなのに、自分が精神的に未成熟なためにそういう関係にはなりたくなかった)、きょうだいだからきっと、ずっと絆を保っていられる……そう思いたかったのだ。

たいがいは、生まれてだいぶあとになってから出逢った人とみんな結婚する。とくに嫁に行く人っていうのは、どんなに心細いんだろう。今までの世界から一人だけ切り離されて行く。自分を作った場所から、自分をなんでも知っている人の許から、全然知らない土地に、全然知らない人たちのところに行く。

そんな日が私に来る(可能性がある。あくまで可能性である)とは、まったく予想しなかった。決して嫌なのではない。いくら相手を愛していようが、その人のところに行くのが「今までの世界から切り離されて、自分を作った場所、自分のことをなんでも知っている人のところから、全然知らない土地に、全然知らない人たちのところへ行かなければならない」ということのために大きな苦痛を伴ってしまう自分が嫌だ。どうしてこの人は、自分を作った場所の、自分をなんでも知っていてくれる人ではなかったんだろうと思ってしまう。それを生まれながらにして持っているという意味で、優しい兄がいる妹というのが私には羨ましい。

こんなことを考えないといけないのも、私が自分を愛せないからだ。嫌われるのではないかとテーブルマナーとか些細な言葉遣いとかすごく気にしてしまうのは、私が自分に自信がないからだ。空っぽだからだ。