口頭試問後の所感

私は口頭試問を終えて来ました。口頭試問を経て、解放されて楽になるかと思ったら余計に苦しい状態に立たされたような気がします。

私の修論は先生方の間で高い評価を受けました。天下のナントカ大と呼ばれる大学のうちの1つの大学院の教官が、そのような評価を一学生の論文に下すということは、どうでもいいからはやく出て行けと思われているのか、本当にその論文が評価されたかもちらかだと思う。どちらだと思うことも怖い。

仮に私の論文が本当によいものと評価されて褒められたのであれば、私はひどい空虚感に襲われることになる。なぜなら、私は修士の3年間をただの消化試合のように過ごしたという自覚がある。研究は精神病をどうにかすることの次の課題であり、二の次にして来た。それでも真面目だから執拗に頑張っていた側面もあり、それで精神を余計悪くした感がある。ドクターに進学しないと決めたのは、決定的な精神薄弱が私の研究者としての前途を必ずや阻むだろうと確信したからであった。

私はたしかにこの修士論文を書いて、1つの「作品」を完成させた。先生も完成度の高い論文だとか、高い水準のものだと言ってくれている。大部なものだが誤記も少なく読みやすいそうだ。私は誤記だらけだと鬱っぽくなっていたが。私は、論文がどうしようもないゴミ論だと信じて疑わなかったが。

口頭試問で、私の見ている「私」の像は完全なる虚像で、認知が歪みきっていることを再認識させられた。自身を正しく評価してやれないことが、いままでに私の人生をどれだけ損なものにして来たのかを思い知った。それで私は、「褒められた!やった!」とか、「ついに解放されたぜ」という思いを抱けずに、また落ち込む羽目に陥っている。

ここまできたらもはや、落ち込むのが趣味のようなものだ。母にはよく言われている。「お前は落ち込むのの、不安になるのの材料をいつも探してくる。それは趣味のよう」だと。私はこの癖をやめたい。ASDの傾向が生まれつき不安障害を持つ状況を生んでおり、もはや悩みなき自分など自分とは言えないという感がある。

引っ越したら障害者手帳を取得するかどうか、真剣に考えるつもりだ。