障害者手帳の話です。

またしても久々の投稿と言わなければなりませんね。
私は現在、「アルバイトをしている主婦」という立場で生活しています。とはいえアルバイト収入なんて月に20,000円程度のもので、しかも仕事場が遠いので、くたびれて帰ってくるという割に合わないものです。しかし私を社会的に、まっとうな人間だと思ってくれるのはこのバイト先の人たちだけです(すでに忘れ物が多いのでADHD特性持ちはバレているかもしれません)。だから私はこの仕事を手放したくないと思っています。塾のチューターのようなものなので、中3の高校受験を見届けたく、せめて一年は続けようと思っています。それが、私の社会人の端くれとしての責務だと思います(あまりに堅苦しい。こんな考えだから辛いのだろう)。
私は「普通のふり」をするのが大変うまいです。なので、外ではふつうのふりを精一杯やり、普通の人には想像を絶するであろう脆弱性からくるストレスでくたびれ、家で荒んでいるという日常です。オットはその世話をしなければならないので、本業が疎かになっています。私自身家事は完璧には程遠く、料理をしたらもうそれ以外働けません。洗濯程度でHPの半分は削られます。私は妻として不適格であり、オットの人生の邪魔でしかない。
外で精一杯「ふつう」をやっている私が障害者手帳(精神)の取得を考えているなんて言ったら、ほとんどの人は「君には取れないだろう、君はふつうなんだから」と言ってくる。無駄に頭でっかちな学歴と、無駄に高い言語能力がこれを後押しする。
しかし私はもう「健常者」であることに疲れた。私は小学生時代から、「わたしには何らかの障害がある」と確信していた。周りの子供たちはこんなに生きづらいのだろうか。学校で喋れなくなったり、「ハイ」というだけで胸が張り裂けるくらいドキドキするだろうか。数々の大きすぎる不安に押しつぶされるのだろうか。それで、生活全体が苦痛になるようなことが、果たして、この周りで私をからかっていじめて遊んでいる奴らに、あり得るのだろうか?そう思っていた。私は自分を「障害者だ」と思うことになんの躊躇いもなかったし、今は声を大にして言おうとすら思う。
私の先輩で、同じ大学院の研究室を出た人がいる。その人は精神障害を持っている。彼女はある日、勝ち誇った顔で私に障害者手帳を見せた。彼女は私より随分(ヒトとして)優秀で、働いているが、彼女も苦しかったと思う。学歴、経歴を見て、「優秀なんだろう」と思われるが、心には大きな病気を抱えながら、周りの期待に応えることは、ともすると死の覚悟をしなければならないほど辛いのだ。彼女の勝ち誇った顔の理由が私にはよくわかった。
私はこの夏、思い切って障害者手帳の申請を行うつもりだ。