子供を産むか?の是非

婚姻届を出したら、当然だが「既婚者」になった。紙切れ一つで、まだ新婚だっていうのに、「お子さんはいますか」という質問を投げかけられるようになったのが非常に煩わしい。仕事関係の人に訊かれるのは仕方がないかとも思うが、それでもモヤモヤしてしまった。私はまだ自分が子供という気でいるので(年齢的に、社会的には大人だと自覚して振舞っているが、精神年齢が追いつかないので家では子供のようにしている)、親になるのが恐ろしい。「◯◯ちゃん」と呼ばれていた私はいなくなり、代わりに「◯◯ちゃん(くん)のママ(お母さん)」という存在になってしまう。私の主体性はどこかへ行ってしまうのではないだろうか。そのように考えている。

人にはそれぞれの事情がある。精神年齢が幼くて、年齢的には親でもおかしくないが、子供を生むレベルに達していない人(私だ)、病気があって、トラウマがあって、生むことができない状態の人。まぁ私も一種の病気があるので生むことができないのだが。そのような諸事情を想像することもなしに、「お子さんはいますか」「お子さんはまだですか」「結婚したなら次は子供だね」などとのたまう人たちが私は好きになれない。

だが私は、生まなかったら後悔するだろうなぁとは思っている。それから、生むならば早い方がいいとも思っている。早く生むのであれば、私ももうアラサーなので近いうちに動かないといけない。一年ほど前から基礎体温をつけるようになったが、それ以上のことはしていない。婦人科検診にも行きたいが、仙台に引っ越してまだ数ヶ月で、どんな病院がいいのかも分からない。時は驚くほどはやく過ぎ去っていく。どうしたもんだろう。

それに、子供って何のために生むんだろうと思う。私は、「自分が」後悔したくない、「自分は」早い方がいい、と考えているのだ。子供はまだ生んでいないし産めるかもわからないし、だから「子供がどう思うか」は考えるだけ無駄なのかもしれないが、どうにもこれでは親のエゴというやつではないか、と思いとどまってしまう。正直、私は子供のいない人生でもいいのかもしれないと思う。何が何でも生まないと後ろ指を指されたり、離婚されたりするような時代ではない。それでは私は、なぜ「生んだ方がいいな」と思っているのだろう。

多分それは、自分の人生でできる最大限のことをしようと思っているのだ。大は小を兼ねるという言葉があるように、私のできる最大限のことをすれば、ほかの全ての世界線の私より後悔は少ないと思うのだ。子供を生んでしまうと、その子を責任持って育てる必要がある。「いまから小をやろう」と言って子供をポイすることは許されない。ただ、時たま親に面倒を見てもらったり、夫に任せたり、学校に行くようになって「プチ小」を体験することはできるだろう。だが、生まなければ、いつか(多分20年後くらい)、体のリミットが来て、「いまから大をやろう」と言って妊活(私はこの言葉あまり好きではない)を始めることは不可能になる。

そういう理由で私は子どもは生もうかなぁとぼんやり考え始めた。しかしまた気が変わるかもしれない。自分のような人間が子どもを持ってもいいかなと考えるようになる日はとうてい訪れないと思っていたので、ちょっと信じられないような気持ちだ。