ブログで吐き出す、説明し難いもやもやしたかなしみ

ずっと更新していなかったのは、オットとの生活がそこそこ安定して、かつ教育関係のお仕事をぼちぼちやっていて忙しかったというわけです。

精神障害者保健福祉手帳を取得しました。等級は2級。私は3級かと思っていたのですが、2級とは驚きました。それだけ私は生きづらさをかかえているんだと気付かされた出来事でした。

オットとの生活が安定。と冒頭に書きましたが、私のメンタルは安定していません。疲れると不安定になってしまうようで、オットの出張前日にやってはいけないことをしてしまって喧嘩してしまいました。境界例ちっくな行動を取ってしまいました。リコンのリの字がちらつくんじゃないかと思っているんですが、オットは私を愛しているように見えます。でも水面下でイヤポイントが蓄積していると思います。はやく、元気になっていいヒトになりたいです。

オットが出張に行っていていません。すると、学生時代のように一人暮らしになります。一人でやることがなければ、延々と部屋にこもってポケモンをやっています。自閉症者らしく、独自の遊び方です。任意のテーマのもとに(たとえば電気ねずみパーティなど……)新たなパーティを組んで、そいつらで「縛りプレイ」ででんどういりを目指すということを何度もやってきました。今回、ひさびさに電源をつけた「x」のソフトが初期化されていましたので、古いですがxでそれをやろうと思いました。

ちなみに、かつてはエネコロロ二匹のみでダイゴを撃破するところまでいきました。

まずはポケモンを孵化厳選します。この作業にのめり込むと廃人と化します。生活が。ご飯もろくに食べず、眠る時間も不規則に。

それでさっきお腹すいたなとローソンに重い腰を上げて向かったわけですが、私は気がついてしまったのです。(この感じ、学生時代と同じだ……)と。修論時代は廃人を封印していたので、ひさびさの感覚が戻ってまいりました。

 

私は切なくなったのです。

むかし、わたしには本心を語れる盟友が何人もいました。高校、大学の頃、同じくらいの頭脳の青年たちが集まり、将来を模索していたあの時代です。いま、20代も後半になった彼らはわたしと同じフィールドからとっくに羽ばたいていきました。もう将来をどうしようかという段階ではなく、もっと具体的な人生を考える段階に入ったのです。

私は結婚こそしましたが、精神的には青少年期のままです。生きるというだけでつまずき、いつももがいています。この気持ちを、まだ生きるのに慣れていない若いみずみずしい感性の「定型発達」のひとたちは理解してくれた部分がありました。だから大学までは、等身大の私で、比較的重い人生の悩みを語れました。しかし今は、そんな相手はいなくなりました。

最近夢に、大学時代の友人たちがでてくるようになりました。ほんの一瞬交流があったひとまで出てくるありさまです。私はあの時代のことをまだ夢想しています。私が等身大でいて、等身大の私でも受け入れてもらえた時代です。

オット出張で一人になって、私はそのことを思い出して不思議な感情の渦(ネガティブ寄り)に呑まれています。